マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

長野電鉄 2000系:A編成(マルーン塗装)

2019-05-12 20:58:00 | 私鉄(中小)
長野電鉄 2000系A編成(マルーン塗装)


長野電鉄2000系は、昭和32年~39年に掛けて製造された特急型車両で、当時の地方私鉄としては非常にグレードの高い車両であったということです。
3両でM+T+M編成を組み、A~Dの4編成が製造され、昭和32年のA・B編成と昭和34年のC編成は、地元蕨にあった日本車両で誕生したということです。

製造された当時は私自身が生まれていないので記憶も縁もない車両ですが、運用から外れた後、長野電鉄屋代線の廃止直前に訪問した際、須坂駅で保存されているA編成に会うことができました。


※撮影は、平成23年5月4日、長野電鉄須坂駅にて。






訪問途中に大渋滞に巻き込まれ、トイレに行きたくなったため、たまたま大きい須坂駅に立ち寄りました。駐車場に停めると構内に10系OSカーが停まっているのが見えたのですが、外からは写真が撮りづらかったため、入場券を購入し、改札氏に撮影の許可をいただいてホームで撮影しました。

B編成が平成17年、C編成が平成18年に運用から外れて廃車となった後で、このA編成は末期に登場のマルーンに塗り替えられたようですが、平成23年3月一杯で運用を外れたようです。
平成24年3月の屋代線廃止後に信濃川田まで回送され保存されていたようですが、既に解体されて現存していないということです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

ED751000番代牽引 旧型客車:普通列車(東北本線)

2019-05-11 18:29:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
ED751000番代牽引 旧型客車:普通列車(東北本線)


先般『ED750番代牽引 旧型客車:普通列車(東北本線)』をご紹介したところですが、同時期に撮影した普通列車の中で、1000番代が運用された写真がありました。

1000番代は、20系寝台客車やコキ10000系貨車の100km/h運転に対応した装備を持ついわゆるP形として誕生した区分です。
それまでは既存の形式を改造することにより対応したため、EF58では特に番台区分を設けなかったものの、EF70やED73では改造後に1000番代として区分したものもあります。特にED73についてはすべての車両が1000番代という史上まれにみる現象となっています。

東北本線では20系寝台やコキ10000系が多く使用されましたので、これらに対応するためED751000番代が39両も誕生していますが、ブルートレインが24系(25形)に移行されるようになるとその特殊性があまり活用できなくなってしまい、殆どが0番代と変わらずに運用されるようになったようです。



昭和53年頃 白河駅にて ED751003 121レ

残念ながら客車は写っていませんが、上野を早朝に発車する121列車郡山行きです。
121レの郡山方2両は白河回転車となっており、1面2線で客車退避のできない同駅ですが、10分間の停車時間に2両を切り離して側線に留置、再び本線に戻って121レを牽引して郡山を目指しました。
このような日常が、昭和53年10月ダイヤ改正直前まで繰り返されていました。



昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて ED751011牽引 上り普通列車

スキャンニングモードを誤って酷い画像になってしまったのですが、茶色のオハ35系やスハ42系を連ねる上り普通列車です。

本来なら高速仕様のP型である筈の1000番代ですが、時代の趨勢で旧型客車を牽引しなければならないとは、同機たちも役不足だと思っていたことでしょう。
黒磯口では、このような運用が昭和60年前半くらいまで続きました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

京浜急行電鉄:さよなら800形 記念乗車券

2019-05-07 00:10:00 | きっぷ
京浜急行電鉄:さよなら800形 記念乗車券


前々回にご紹介いたしましたが、平成31年4月の異動にあたり、もうひと方から餞別をいただきました。
所属は違うのですが、先方のかたも昔からの鉄道ファンであり、良き理解者であります。
その方から、地元京浜急行の記念乗車券をいただきました。






間もなく営業運転が終了しています800形の「さよなら800形 記念乗車券」です。

A版2つ折りの台紙に、額面2000円分のD形写真入りの乗車券が4枚セットになっています。
日付はダッチング風のようですが、西暦表示になっており、有効期限は9月30日までと非常に長く取っています。
スキャナの関係で両端が若干入り切っていないようで、その点はご了承ください。

京急800形については『京浜急行電鉄:800形(2代)』でアーカイブ済みですが、最後の1編成となっているリバイバル塗装車は「京急 ありがとう800形 特別貸切列車」として令和元年6月16日の運転をもって引退となるようです。

長引く金欠病でこのような記念品を購入することが困難な生活となっていますが、異動の記念にこのような貴重なものをいただき、大変ありがたく思います。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

国鉄 交直流型電気機関車:EF81138

2019-05-06 06:00:00 | 国鉄・JR電気機関車(交流・交直流)
国鉄 交直流型電気機関車:EF81138


青森車両センターのEF81シリーズです。

EF81138号機は、昭和54年度に新潟地区のEF15置換用として製造、新製時から東新潟機関区に配置されました。
機関区の統廃合により長岡運転区となり、民営化以降もJR東日本に継承するとともに青森車両センターへ活躍の場を移したのは、137号機と同様です。
特急列車の牽引等に活躍しましたが、平成27年12月9日付で廃車になりました。



平成20年8月2日 寝台特急「あけぼの」

同機の主な活躍の舞台は寝台特急「はくつる」や「あけぼの」であったのも137号機と同様です。



平成23年2月12日 24系 団体臨時列車

ツアーでブルトレが設定されました。
当時はリバイバルブームでもあり、なんらかのヘッドマークが設定されると思いましたが、テールマークすら「臨時」で、非常に地味な設定でした。



平成24年4月28日 9716レ 団臨「ニコニコ超会議号」

JR東海に嫌われ、大阪からわざわざ日本海経由で設定されたイベント臨時列車。青森から大阪への回送、大阪から上野、そして帰区と大遠征の列車に抜擢。
翌年も団臨「ニコニコ超会議号」が設定され、これにも138号機が充当されています。

さらに、上野から帰区の回送を兼ね、『EF81138牽引:団体列車「鳥海」』も設定されています。


同機も最晩年まで双頭連結器にも改造されることがなかったため、配給回送などの活躍の機会はあまりなかったようですが、意外にも団臨充当の機会を捉えていました。


にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村

201系:中央快速線(最末期)

2019-05-05 20:57:00 | 国鉄・JR普通列車
201系:中央快速線(最末期)


中央快速線がE233系に置き換わってから久しくなりますが、全編成が置換えとなる末期の平成20~21年頃、武蔵小金井駅の高架化による配線の都合により、2編成の201系が残っていました。
当時は運用など知る由もなかったのですが、撮影のついでや現場回りでの移動の際に良く出会うことがありました。
今回は、そんな末期の頃の2編成の写真をまとめてみたいと思います。スナップ的な写真ばかりですけど・・・。





平成20年4月26日 H4編成 各駅停車 高尾行

残り2編成となった中央快速線。
始発電車のような時間に家を出発、水泳大会参加のために娘を含む6名の選手を引率し、相模線へと向かう途中、なんと、西国分寺から乗り継いだ車両はT4編成でした。
しかも、早朝の高尾行は快速ではなく、お茶の水から緩行線を通って各駅で西進するノンビリ列車で、字幕も違うことに乗ってから気が付き、立川駅での時間調整の際にサボを撮影しました。
こんな時間に撮影に向かうことなど考えられないため、非常にラッキーな出会いでした。後部の写真は暗すぎてブレてしまったのが残念。



平成20年9月6日 八王子駅にて H4編成

横浜線への撮影の乗り継ぎの際、偶然に通り掛かりました。



平成20年9月6日 西国分寺駅にて

同日、折り返しを待って西国分寺で1枚。この1年前は201系だらけだったのが嘘のようです。







平成21年3月28日 西国分寺駅にて 201系 H7編成

大月への撮影の往路、寝坊して様々な列車を撮り逃し、最悪な出だしだったのですが、西国分寺での乗り継ぎで唯一ラッキーな出会いでした。
喫煙者にとっては懐かしい、ホームで喫煙が出来た頃。



平成22年5月18日 立川駅にて H7編成

現場回りでお昼の移動。途中ですれ違った201系が折り返して来る時間を見計らい、立川駅で迎え撃ち。しかし、朝からの人身事故によるダイヤ乱れのお蔭で、時間はズレるは列車種別が変わってしまうわ。
結局、この写真が中央快速線における最後の1枚となりました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村