マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

身延線:クモハユニ44801(富士駅)

2019-02-12 00:53:00 | 旧型国電
身延線:クモハユニ44801(富士駅)


旧型国電時代の末期、身延線で活躍していた旧型国電群の中でも最も有名だったクモハユニ44。

昭和9年、それまで横須賀線で使用されていた17m車モハユニ30の置換用として誕生した郵便荷物客車合造車モハユニ44を起源とします。
5両が製造されましたが、44005は戦災廃車となり、戦災復旧車マニ7220となったそうです。

残った4両は、昭和31年に身延線及び大糸線へと転出し、建築限界の狭小な身延線への入線にあたり、低屋根化工事が施工されます。改造にあたっては、17m車クモハ14と同様に全低屋根となり、全面窓の1枚化とともに原形がかなり失われてしまいました。
これにより、クモハユニ44800番代となっています。
(800~802←001~003)


今回は、富士駅で撮影した停車中のクモハユニ44801の写真をご紹介いたします。
※撮影は、昭和56年8月21日、富士駅にて




富士駅で折り返し待機中のクモハユニ44801です。
全低屋根で屋根が低く、42系のズラッと並んだ小窓で客ドアが後位に1つしかないためか、非常に長くスマートに見えます。




この時代くらいだと、普通列車であれば真夏の非冷房も当たり前。窓全開で涼風を取り入れながら旅をするのは当たり前でした。




発車先頭となる荷物・郵便室付近は、狭いスペースに載せ込む荷物や台車で溢れかえっており、写真を撮りに行くにもすごく狭くて窮屈な感じでした。
荷扱いをしている作業員が2名写っており、ターレットに到着した荷物を積み込んでいるように見えます。

低屋根前面はサイドビューとはまるで別物の雰囲気で、クモハ14800を連想させる雰囲気を持っていました。




狭いスペースにターレットや郵便用?の台車でしょうか、想像以上に多くの荷物が扱われていたようです。

当時は走行写真を中心に撮影しており、駅撮りはあまりしていなかったのですが、この数年後には郵便事業も荷物輸送も鉄道部門から撤退してしまったため、特殊な車両と荷扱い風景を記録できて良かったな、と思う写真です。


身延線:クモハ60
身延線:クモハ51系
旧型国電 クモハ51852:身延線
身延線:クハ47
旧型国電 モハ62系:身延線 アコモ改造車
115系:身延線 ワインレッド色
郵便・荷物合造車:クモユニ143(身延色・長岡運転所時代)

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DD13牽引 12系お座敷客車「いこい」:団体列車「さようなら清水港線」

2019-02-10 02:30:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
DD13牽引 12系お座敷客車「いこい」:団体列車「さようなら清水港線」


昭和59年3月31日をもって廃止となった清水港線。1日にたった1往復のみの旅客列車しか走らない路線として、当時は結構有名でした。
国鉄時代末期となる昭和50年代後半は、赤字ローカル線の廃止で全国的な鉄道ブームが沸き起こっていました。その中でも1日1往復のみ、しかもそれが当時としてもかなり少なくなっていた客貨混合列車が走っているということで、鉄道ファンで知らない人は居なかったと思います。

廃止1週間前の土日、清水港線に惜別の団体列車が仕立てられたという情報があり、あまりそのような話題に乗ることが無かった私も、初めての清水港線へ1人で行ってきました。




昭和59年3月22日 DD13203+DD13140牽引 12系お座敷客車 送り込み回送

沼津区に所属する12系お座敷客車を翌朝の運用に備えて前日に送り込みが行われました。
当時は詳しい情報がありませんので、まさか重連で来るとは思いませんでした。

土曜日は途中の工場で203号機が入換をしていましたので、夕方の定期運用の送り込みスジを利用して回送を行った結果、このように重連になったのではないか?と推測されます。




構内に入ると最徐行。後部もパチリ。
線路際で遊ぶ姉妹も、もう40歳前後になっただろうか。



昭和59年3月22日 三保駅にて(再掲)

三保駅に到着した12系お座敷客車「いこい」は、翌日の運用に備えて正向きに側線に停留されました。
そして、その横には当日の上り列車も整列し、普段は1往復しかない同線で珍しい客車列車の並びが実現しました。



DD13203+12系お座敷客車

最後を目前にした清水港線の混合列車ですが、明日の主役はコチラ。



昭和59年3月23日 巴川口~清水ふ頭間にて 団体列車「さようなら清水港線」

翌朝、三保駅発の団体列車が運転されました。
プリントからのスキャンでナンバーは不鮮明なのですが、おそらくは前日に準備されていたDD13203号機の牽引と思われます。
当日は沿線までの足がないので、清水駅前のホテルから徒歩にて移動、当時としても珍しかった可動橋で撮ろうと初めから決めていました。同じことを考えていた撮影者は多く、ここにはかなりの人数が集まっていた記憶があります。

同じ静岡局の地元で活躍し、稼働率の高い12系お座敷客車「いこい」でしたが、清水港線に入線したのは最初で最後だったんではないかと思います。

同日に撮影した定期便については別の機会にご紹介したいと思います。

さよなら清水港線 おわかれ乗車券・入場券

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JR東海 383系:急行「ちくま」

2019-02-09 01:14:00 | 国鉄・JR急行列車
JR東海 383系:急行「ちくま」


「ちくま」は、大阪と長野を結んでいた急行列車です。

昭和34年12月にキハ57系を使用した準急列車として誕生し、昭和36年のダイヤ改正から急行列車に格上げされています。

その後、旧型客車を使用し、寝台車両も連結した夜行列車を主体とし、中央西線の電化後は季節列車として165系や167系を使用した昼行列車も増発されています。さらにオンシーズンにおいては、客車の夜行列車も増発され、手元にある昭和54年の時刻表では3往復が設定されていました。

夜行列車については、旧型客車の撤退後、当時西日本や九州で見られた12系座席車+20系客車へと置き換えられ、さらに20系廃止後は14系客車へとグレードアップが図られています。
私も1度だけ大阪から塩尻まで乗車したことがありましたが、確かこの12系座席車+20系客車だったと記憶しています。ただ、乗車した時間帯が悪いだけに、写真は1枚も撮っていませんでした。

晩年は夜行列車のみの運転となりましたが、全国的な客車列車の廃止に伴い、平成9年からは特急「しなの」と共通運用の383系へと置き換えられました。



平成14年3月29日 新大阪駅にて 上り急行「ちくま」

新大阪駅での朝のゴールデンタイム。急行「銀河」を終点の1駅手前で下車し、撮影に興じました。
この時間は上下の目玉列車が錯綜し、「あかつき」「彗星」が不意にやって来たので写真に収めると、背後からいつの間にか到着していた急行「ちくま」に背後から襲われていました。

慌てて後部を撮影したのが上の写真ですが、ヘッドマークを見ると、なんと既に「回送」表示にされていました。そんな段取り良く作業しなくても良いのに・・・と憤慨。

結局、その後はこの列車に出会うことが無く、乗車経験がありながらも「回送」表示の味のない写真が最初で最後となってしまいました。

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415系(塗装変更後) 普通列車:常磐線

2019-02-05 06:51:00 | 国鉄・JR普通列車
415系(塗装変更後) 普通列車:常磐線


E531系化が完了して久しい常磐線上野口の普通列車ですが、その昔は国鉄型の鋼製車が殆どを占めていた時代が長く続きました。
昭和60年に開催された科学技術博覧会(つくば万博)を契機として、長距離電車の15両化、赤電からの塗装変更が実施されています。

どちらの塗装もあまり好きではありませんでしたが、やはり常磐線の普通電車と言えば赤電であり、塗装変更後は殆ど写真を撮ろうという気にはなれず、記録も殆どありません。

先日アルバムを眺めていたら、デジカメ化前に撮影した415系鋼製車の写真が2枚だけ出てきたのでご紹介したいと思います。



平成元年5月5日 荒川沖~土浦間にて 415系 下り普通列車

かなりピンが甘いようですが、なんでこんなアングルで撮ったのか謎です。この頃になると、403系以前の車両は殆どなくなり、1500番代が出揃ってきていたんじゃないかと記憶しています。



平成19年1月12日 藤代~取手間にて 415系 上り普通列車

415系は上野口から撤退することになり、鋼製車の活躍も末期となった頃です。

古い401系や403系が無くなり、殆ど興味も失せてしまっていましたが、415系も経年の割には比較的に早く姿を消してしまったような印象があります。
415系は初期車が冷房付きの旧型スタイルで特徴があったのですが、当時はそのことを知らなかったので、特に記録することもできず、気が付いた時には既に廃車になった後でした。


JR東日本 E501系:常磐線(上野口)
415系1500番代:常磐線・水戸線
国鉄 交直両用型電気機関車:EF80(客車列車編)
401系・403系・415系:常磐線 近郊型赤電時代
415系・キハ58系・20系客車:快速「エキスポライナー」
103系:常磐快速線

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JR東日本 E501系:常磐線(上野口)

2019-02-02 03:32:00 | 国鉄・JR普通列車
JR東日本 E501系:常磐線(上野口)


JR東日本E501系電車は、常磐線上野口における403系などの旧型車を置き換える目的で平成7年に登場した交直流通勤型電車です。
それまでの交直流型電車は普通列車用としては近郊型の3ドア車となっていましたが、通勤時の混雑に対応させるため、209系を基本とした全国初の4ドア交直流型となりました。

E501系により交流区間での通勤型運転が可能となりましたが、209系のコンセプトがベースとなったためにトイレを設けていませんでした。そのため長距離運転には無理があり、直通運転は上野~土浦間のみとなっていました。

当初は、415系はおろか103系までを置き換える計画だったようですが、トイレやオールロングシート化による座席定員減といった問題があって、結局は10両編成と5両編成がそれぞれ4本ずつで製造が打ち切られています。

E501系の誕生から10年後、新鋭の4扉近郊型E531系で上野口の普通列車がグリーン車の連結とともに統一化されることになり、E501系は土浦以北の水戸線を含む交流区間封じ込めの運用となってしまいます。



平成19年1月12日 藤代~取手間にて E501系 15連 上野行き

415系やE501系が上野口から撤退とのアナウンスがあり、鹿島鉄道の撮影の帰り道に立ち寄って撮影した1枚です。
まだ経年が浅く、現在も活躍しているのはご承知のとおりですが、それまで1枚も撮影したことが無かったため、「上野」の表示くらいは押さえておこうと記念撮影的に撮っておきました。

こうした通勤型の写真は撮り逃したものが過去に多くあり、自分では記録の脱落に要注意な分野の車両です。

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