マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

国鉄 155系:修学旅行用電車

2013-04-11 01:23:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
国鉄 155系修学旅行用電車


国鉄155系は、昭和36年及び39~40年にわたって48両が製造された我が国初となる修学旅行用電車です。
団塊世代が修学旅行催行の年代に達し、それまで旧型客車寄せ集めによる運行が限界に達していたこと、手動ドアによる転落や途中駅置き去りなどの問題により電車化が好ましいなどが誕生の経緯となっており、その時代を色濃く反映しています。

東海道線による品川~京都間の運行(「ひので号」)がメインとなっていましたが、田町区に配属された155系は日光集約臨にも使用されるようになりました。

ベースは既に誕生していた153系に準拠したものですが、鉄道債権による限られた資金の中での計画・製造となったため、コイルバネ台車を履く、先頭車を極力省く、スカートの省略、ベンチレータのグローブ化などの工夫がされています。
また、修学旅行シーズン外には臨時列車としての活用を図るため、トンネル限界の小さい中央線にも入線できるように、前低屋根構造となっています。
さらに、一度に大量に輸送することを考慮し、4人ボックスシートに加え、6人ボックスシートも設備しています。

塗装は、ご存知のように明るいツートンを採用しており、当時のカラー化の中でもインパクトが非常に強いものでした。
個人的にも、この塗装は子供の頃から好きでした。

京都への修学旅行が新幹線に移行されるようになると、155系は臨時列車としての需要が多く見込まれるようになったため、座席は急行形標準の4人ボックスシートへと改造されることになります。



昭和49年頃 蕨~西川口間にて

おそらく、小学生の頃に初めて撮影した修学旅行臨。
この頃はまだ155系も修学旅行色のまま残っており、特別な存在であることは知っていたと思います。
しかし、167系に比べると洗練されたデザインとも思えず、当時としてはそれほど着目する車両ではありませんでした。



昭和51年 西川口~蕨間にて

これは撮った記憶がなく、偶然写っていたものです。
撮った当時は既に155系も湘南色化されていたイメージがあったため、159系だとばかり思っていました。
でも、良く考えれば日光集約臨に159系が充当される筈がありませんからね。



昭和52年 宇都宮駅にて

EF57終焉の頃でしょうか、宇都宮で急行「なすの」との並びを撮ったシーン。
この頃になると155系そのもののことも分かるようになり、ある程度希少性を感じていたかもしれません。
しかし、既に湘南色となり、インパクトの無い存在になっていました。



昭和55年頃 品川駅にて 臨時急行「伊豆」

修学旅行のオフシーズンでは、臨時急行への充当も頻繁に行われていました。
しかし、廃車まで冷房化されることがありませんでしたので、夏臨の155系は同じ急行料金でも損な存在だったでしょうね。



昭和55年5月 浜松町駅にて 臨時急行「伊豆」

こちらも臨時急行「伊豆」に運用されているシーンです。



昭和55年10月頃 南浦和~蕨間にて

こちらは地元の日光集約臨。
この時代が終焉になっていたようで、その後に撮った写真は見当たりませんでした。





昭和58年4月18日 愛知御津駅?西小坂井駅にて

もしかしたら西小坂井駅かもしれません。←でした。
飯田線の旧型国電が終焉を迎えた頃、全然歳の離れた155系も一緒に終焉を迎えています。

新幹線の開業・延伸によって全国の急行列車が消え、165系などに大量の余剰が出たこともあり、155系や153系さえも不要となってきており、特に非冷房車は一気に淘汰された時代でした。

その後、修学旅行臨は167系~183、189系と車種をグレードアップしながら今の時代にも引き継がれていますが、専用塗装を纏った修学旅行電車が製造されることはまず無いのでしょう。

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チンケによる食事作り:買い出し

2013-04-08 00:30:00 | 駅・停車場・操車場
チンケによる食事作り:買い出し

構内から家畜ホームと食肉扱い所?のような場所(現在も食肉市場があるようです)のヨコを通り、外に出ると八百屋があります。
ここは国鉄職員の買出しの拠点となっており、さらに頼まれた買い物をするために少し離れて国道17号沿いにある薬局などにも足を運びました。

ここで予め想定していたメニューと材料、さらに価格と相談しながら、材料の買い忘れがないように、オーバーしないように、神経を尖らせて買い物をします。

オーバーすればもちろん、自分の持ち出しです。余った分は余程多くならない限り還付しませんが、あまり余らせ過ぎるとばれて怒られます。
何故、領収書などもないのにばれてしまうのか。ここに経験があります。

時代によって物価に多少ブレがあるとはいえ、下積みを経験してきた先輩たちは、おかずのボリュームと質を見れば、いつもより良いか良くないかで、その買い物が適正であるかどうかが感覚で分かるのです。
ただし、下積みが長かった先輩と短かった先輩では、そこが身についていないという差もあったかもしれません。

次回に続く。




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チンケによる食事作り:注文取り

2013-04-01 00:30:00 | 駅・停車場・操車場
チンケによる食事作り:注文取り

その日の出番になると、先輩たちよりも早めに出勤し、身支度を整えてから注文取りの準備を始めます。
わら半紙に枠組みが書いてあり、ここにその日の出面13人分の名前を記入し、先輩たちが出勤して身支度が落ち着いたら、食事やその他の買い物の注文取りをします。

注文は昼番で250円、夜番で350円が食事の基本料金でした。
この100円の差ですが、昼はうどん・そばが多く、夜はうどん・そばは基本的になく、おかずを5~7品程度用意するのが一般的なため、そこに100円の差があるわけです。
ただし、夜をカレーライスなど単品にする場合は、300円に徴収金額を落としていました。

これ以外にも注文がある場合もあります。
人気の買い物アイテムとして、1番はリポビタンDでしたでしょうかね。
今だからもう言って良いと思いますが、当時、リポビタンDはメーカーからの圧力があったようで、130円を下回って売ってはいけないと言われていた、と薬局の若女将から聞いていました。
それでも、毎回出番ごとに買い物に行くため、国鉄職員価格として10円引きの120円で売ってくれていました。





今でこそお菓子を食する成年男子も多く居ますが、当時は今とくらべて精神的にも大人であり、お菓子類の買い物を頼む先輩はまず居なかったですね。
しかし、逆にこの注文表には「アイス」の項目が予め印刷してあります。
これは配属前の実習で助役から伝えられていましたが、「何だか知らないけどハンプの連中はアイスを食うんだよね。だから買い物頼まれるよ。」。その通りでした。

駅から詰め所までは10分以上歩きますし、構内の中心部から買出しに行くにも10分程度掛かりますから、予めアイスを買ってくるわけにも行かず、抜け出して買いに行くのも面倒。だからチンケに頼んで買って来てもらうわけです。
たま~にですが、優しい先輩から「自分の分も買ってきなよ。」なんてお金をくれたこともありました。

次回に続く。

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