国鉄 釧網本線:混合列車&客車列車
昭和50年代半ば、まだ高校生でしたが、春休みに北海道へ2年続けて行ったことがあります。それまでは時刻表の中だけの趣味の世界。
厳寒に閉ざされた真っ白な大地は、それまで経験をしたことがなかった雄大な、しかも厳しい白い世界。直ぐに魅了されてしまいました。
特にローカル線の味わい。何気ない時間つぶしのような流れに、突如として飛び込んできた風景は、それまで生きてきた経験をあっさりと塗り替えてしまうような光景でした。
昭和55年3月 釧網本線にて
私たちが乗ったのは急行「しれとこ」、キハ22の2両編成でした。運が悪いことに、2両編成で席に座れなかったのは私だけ・・・非常に屈辱的でした。
そして、どこの駅かで座れたんですかね。こんなシーンに出逢ったのです。
どこの駅だったか全く覚えていません。急行であるこちら側が先に到着し、対向列車をまっていました。最初はただの客車列車だと思っていましたが、なんと、貨車を連結していたんですよね。そう、混合列車との初めての出逢いでした。
メチャクチャ動揺しましたね。こんな列車が走っているなんて、全く知らなかったもので。慌てて窓を開け(もちろん、外は氷点下!)撮影した写真です。
タブレット区間では、後に到着した列車が先に出て行きますので、急行列車を差し置いて、混合列車が先に出発して行きます。
最後尾コトラ45000形かな?無蓋車。無蓋貨車の特徴で、テールランプの引っ掛けが1つしかないので、「目玉のおやじ」よろしく一つ目となります。たまらんですね~。
安定したデザインを好む年頃でしたが、この違和感はサイコーの快感に変わりました。
当時はキャノンA-1を持っていったのですが、このカメラ、SPCの反応がやや遅く、半押しなしでシャッターを切ると露出オーバーになってしまうんですよね。しかもリバーサルだったので致命的な写り方になってしまったのですが、今のデジタルはスゴイですね。なんとか見られる写真になりました。
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昭和56年3月18日 網走駅にて
これから釧網本線を走る普通列車ですが、まだ機関車が連結されていません。
本線系統では、殆どの客車列車が緩急車(車掌室:車掌弁を備えた車両)を両端に連結し、非常ブレーキ扱いや列車監視の業務を行うようになっています。
しかし、短編成の列車や配置両数の関係で両端に緩急車を連結できない場合もあります。これらは、客車列車を運行する比較的距離の短いローカル線で見ることが出来ましたが、何故かこの釧網本線では良く見られたようです。
緩急車を連結しない編成端では後部標識(いわゆるテールランプ:尾灯)を備えていませんので、写真のようなバッテリータイプの標識を引っ掛けて使用していたわけです。関東ではこのようなシーンを見ることはなかなかありませんでしたので、非常に滑稽に感じたものです。
実は、周遊券を持っていたので改札開始時間前にホームに入れてもらったんですが、まだ発車まで1時間くらいはあったのではないかと記憶しています。なので、まだ機関車も連結されていないわけですね。
しかし、北海道でも3月といえば真冬であり、この時間ですと当然氷点下10℃くらいには下がっていたと思います。暖房装置を持たない客車は冷え切ってしまいますよね。でも、実際に乗ってみて驚きました。真夏のような暑さだったんです。(笑)
車内の温度計を見てみると、なんと40℃を指していました。汗だくで列車内にいると、車掌さんが出発前の点検に回っており、「暑いでしょ、まだ発車まで時間があるから、窓を開けていても良いですよ。」って声を掛けられたんです。そんなことで、車両の窓が1箇所だけ開いているんですよね。
到着後、折り返しまでに時間があるローカル線では、機関車の交代も含めて、客車を置いて機関区に逃げてしまいます。しかし、北海道の極寒の中で、乗車してくるお客さんに寒い思いをさせないという配慮から、目一杯の暖房を注入してから逃げ帰るわけですね。発車時間まで冷め切らないように、40℃という想像を超えた温度まで上げていくのでしょう。
北海道という土地柄、人柄がわかる対応に、小さな感動を覚えました。それは、まだ高校生だった私にも伝わってきました。
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昭和56年3月18日 釧網本線 清里町にて
撮影を終え、網走からの夜行「大雪」に乗る合間、何もやることが無いので、前出の釧網本線に乗って時間つぶしました。途中交換の清里町駅にて、暗くて写るかどうかも分からないのに、無理やりシャッターを切ったのがこの写真。
列車がブレてしまって番号すら判読できないのが勿体無いですが、DE10の500番代のようですね。
今となっては、DE10が客車が旧型客車を牽くなんて特別に仕立てない限りは無理ですよね。この当時はまだ50系客車の配置など無く、旧型客車しかいなかったんです。当たり前に良い写真が撮れた筈なのに、見逃していたシーンが多かったかもしれません。
この列車に乗っていたとき、原野に沈む大きな夕陽を車窓から見ました。美という感動をあまり知らない年頃でしたが、雄大な自然を目の当たりにして、大人に近づいたような感動を憶えたこと、心が洗われたこと、今でも忘れられません。
ほぼ1年違いの記録でしたが、2回目に行ったときには、既に混合列車はなくなってしまったようです。
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昭和50年代半ば、まだ高校生でしたが、春休みに北海道へ2年続けて行ったことがあります。それまでは時刻表の中だけの趣味の世界。
厳寒に閉ざされた真っ白な大地は、それまで経験をしたことがなかった雄大な、しかも厳しい白い世界。直ぐに魅了されてしまいました。
特にローカル線の味わい。何気ない時間つぶしのような流れに、突如として飛び込んできた風景は、それまで生きてきた経験をあっさりと塗り替えてしまうような光景でした。
昭和55年3月 釧網本線にて
私たちが乗ったのは急行「しれとこ」、キハ22の2両編成でした。運が悪いことに、2両編成で席に座れなかったのは私だけ・・・非常に屈辱的でした。
そして、どこの駅かで座れたんですかね。こんなシーンに出逢ったのです。
どこの駅だったか全く覚えていません。急行であるこちら側が先に到着し、対向列車をまっていました。最初はただの客車列車だと思っていましたが、なんと、貨車を連結していたんですよね。そう、混合列車との初めての出逢いでした。
メチャクチャ動揺しましたね。こんな列車が走っているなんて、全く知らなかったもので。慌てて窓を開け(もちろん、外は氷点下!)撮影した写真です。
タブレット区間では、後に到着した列車が先に出て行きますので、急行列車を差し置いて、混合列車が先に出発して行きます。
最後尾コトラ45000形かな?無蓋車。無蓋貨車の特徴で、テールランプの引っ掛けが1つしかないので、「目玉のおやじ」よろしく一つ目となります。たまらんですね~。
安定したデザインを好む年頃でしたが、この違和感はサイコーの快感に変わりました。
当時はキャノンA-1を持っていったのですが、このカメラ、SPCの反応がやや遅く、半押しなしでシャッターを切ると露出オーバーになってしまうんですよね。しかもリバーサルだったので致命的な写り方になってしまったのですが、今のデジタルはスゴイですね。なんとか見られる写真になりました。
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昭和56年3月18日 網走駅にて
これから釧網本線を走る普通列車ですが、まだ機関車が連結されていません。
本線系統では、殆どの客車列車が緩急車(車掌室:車掌弁を備えた車両)を両端に連結し、非常ブレーキ扱いや列車監視の業務を行うようになっています。
しかし、短編成の列車や配置両数の関係で両端に緩急車を連結できない場合もあります。これらは、客車列車を運行する比較的距離の短いローカル線で見ることが出来ましたが、何故かこの釧網本線では良く見られたようです。
緩急車を連結しない編成端では後部標識(いわゆるテールランプ:尾灯)を備えていませんので、写真のようなバッテリータイプの標識を引っ掛けて使用していたわけです。関東ではこのようなシーンを見ることはなかなかありませんでしたので、非常に滑稽に感じたものです。
実は、周遊券を持っていたので改札開始時間前にホームに入れてもらったんですが、まだ発車まで1時間くらいはあったのではないかと記憶しています。なので、まだ機関車も連結されていないわけですね。
しかし、北海道でも3月といえば真冬であり、この時間ですと当然氷点下10℃くらいには下がっていたと思います。暖房装置を持たない客車は冷え切ってしまいますよね。でも、実際に乗ってみて驚きました。真夏のような暑さだったんです。(笑)
車内の温度計を見てみると、なんと40℃を指していました。汗だくで列車内にいると、車掌さんが出発前の点検に回っており、「暑いでしょ、まだ発車まで時間があるから、窓を開けていても良いですよ。」って声を掛けられたんです。そんなことで、車両の窓が1箇所だけ開いているんですよね。
到着後、折り返しまでに時間があるローカル線では、機関車の交代も含めて、客車を置いて機関区に逃げてしまいます。しかし、北海道の極寒の中で、乗車してくるお客さんに寒い思いをさせないという配慮から、目一杯の暖房を注入してから逃げ帰るわけですね。発車時間まで冷め切らないように、40℃という想像を超えた温度まで上げていくのでしょう。
北海道という土地柄、人柄がわかる対応に、小さな感動を覚えました。それは、まだ高校生だった私にも伝わってきました。
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昭和56年3月18日 釧網本線 清里町にて
撮影を終え、網走からの夜行「大雪」に乗る合間、何もやることが無いので、前出の釧網本線に乗って時間つぶしました。途中交換の清里町駅にて、暗くて写るかどうかも分からないのに、無理やりシャッターを切ったのがこの写真。
列車がブレてしまって番号すら判読できないのが勿体無いですが、DE10の500番代のようですね。
今となっては、DE10が客車が旧型客車を牽くなんて特別に仕立てない限りは無理ですよね。この当時はまだ50系客車の配置など無く、旧型客車しかいなかったんです。当たり前に良い写真が撮れた筈なのに、見逃していたシーンが多かったかもしれません。
この列車に乗っていたとき、原野に沈む大きな夕陽を車窓から見ました。美という感動をあまり知らない年頃でしたが、雄大な自然を目の当たりにして、大人に近づいたような感動を憶えたこと、心が洗われたこと、今でも忘れられません。
ほぼ1年違いの記録でしたが、2回目に行ったときには、既に混合列車はなくなってしまったようです。
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