マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

国鉄 釧網本線:混合列車&客車列車

2011-12-26 00:30:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 釧網本線:混合列車&客車列車


昭和50年代半ば、まだ高校生でしたが、春休みに北海道へ2年続けて行ったことがあります。それまでは時刻表の中だけの趣味の世界。
厳寒に閉ざされた真っ白な大地は、それまで経験をしたことがなかった雄大な、しかも厳しい白い世界。直ぐに魅了されてしまいました。

特にローカル線の味わい。何気ない時間つぶしのような流れに、突如として飛び込んできた風景は、それまで生きてきた経験をあっさりと塗り替えてしまうような光景でした。



昭和55年3月 釧網本線にて

私たちが乗ったのは急行「しれとこ」、キハ22の2両編成でした。運が悪いことに、2両編成で席に座れなかったのは私だけ・・・非常に屈辱的でした。

そして、どこの駅かで座れたんですかね。こんなシーンに出逢ったのです。

どこの駅だったか全く覚えていません。急行であるこちら側が先に到着し、対向列車をまっていました。最初はただの客車列車だと思っていましたが、なんと、貨車を連結していたんですよね。そう、混合列車との初めての出逢いでした。
メチャクチャ動揺しましたね。こんな列車が走っているなんて、全く知らなかったもので。慌てて窓を開け(もちろん、外は氷点下!)撮影した写真です。

タブレット区間では、後に到着した列車が先に出て行きますので、急行列車を差し置いて、混合列車が先に出発して行きます。




最後尾コトラ45000形かな?無蓋車。無蓋貨車の特徴で、テールランプの引っ掛けが1つしかないので、「目玉のおやじ」よろしく一つ目となります。たまらんですね~。
安定したデザインを好む年頃でしたが、この違和感はサイコーの快感に変わりました。

当時はキャノンA-1を持っていったのですが、このカメラ、SPCの反応がやや遅く、半押しなしでシャッターを切ると露出オーバーになってしまうんですよね。しかもリバーサルだったので致命的な写り方になってしまったのですが、今のデジタルはスゴイですね。なんとか見られる写真になりました。

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昭和56年3月18日 網走駅にて

これから釧網本線を走る普通列車ですが、まだ機関車が連結されていません。
本線系統では、殆どの客車列車が緩急車(車掌室:車掌弁を備えた車両)を両端に連結し、非常ブレーキ扱いや列車監視の業務を行うようになっています。

しかし、短編成の列車や配置両数の関係で両端に緩急車を連結できない場合もあります。これらは、客車列車を運行する比較的距離の短いローカル線で見ることが出来ましたが、何故かこの釧網本線では良く見られたようです。
緩急車を連結しない編成端では後部標識(いわゆるテールランプ:尾灯)を備えていませんので、写真のようなバッテリータイプの標識を引っ掛けて使用していたわけです。関東ではこのようなシーンを見ることはなかなかありませんでしたので、非常に滑稽に感じたものです。

実は、周遊券を持っていたので改札開始時間前にホームに入れてもらったんですが、まだ発車まで1時間くらいはあったのではないかと記憶しています。なので、まだ機関車も連結されていないわけですね。
しかし、北海道でも3月といえば真冬であり、この時間ですと当然氷点下10℃くらいには下がっていたと思います。暖房装置を持たない客車は冷え切ってしまいますよね。でも、実際に乗ってみて驚きました。真夏のような暑さだったんです。(笑)

車内の温度計を見てみると、なんと40℃を指していました。汗だくで列車内にいると、車掌さんが出発前の点検に回っており、「暑いでしょ、まだ発車まで時間があるから、窓を開けていても良いですよ。」って声を掛けられたんです。そんなことで、車両の窓が1箇所だけ開いているんですよね。

到着後、折り返しまでに時間があるローカル線では、機関車の交代も含めて、客車を置いて機関区に逃げてしまいます。しかし、北海道の極寒の中で、乗車してくるお客さんに寒い思いをさせないという配慮から、目一杯の暖房を注入してから逃げ帰るわけですね。発車時間まで冷め切らないように、40℃という想像を超えた温度まで上げていくのでしょう。

北海道という土地柄、人柄がわかる対応に、小さな感動を覚えました。それは、まだ高校生だった私にも伝わってきました。


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昭和56年3月18日 釧網本線 清里町にて

撮影を終え、網走からの夜行「大雪」に乗る合間、何もやることが無いので、前出の釧網本線に乗って時間つぶしました。途中交換の清里町駅にて、暗くて写るかどうかも分からないのに、無理やりシャッターを切ったのがこの写真。
列車がブレてしまって番号すら判読できないのが勿体無いですが、DE10の500番代のようですね。

今となっては、DE10が客車が旧型客車を牽くなんて特別に仕立てない限りは無理ですよね。この当時はまだ50系客車の配置など無く、旧型客車しかいなかったんです。当たり前に良い写真が撮れた筈なのに、見逃していたシーンが多かったかもしれません。

この列車に乗っていたとき、原野に沈む大きな夕陽を車窓から見ました。美という感動をあまり知らない年頃でしたが、雄大な自然を目の当たりにして、大人に近づいたような感動を憶えたこと、心が洗われたこと、今でも忘れられません。

ほぼ1年違いの記録でしたが、2回目に行ったときには、既に混合列車はなくなってしまったようです。

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205系:山手線

2011-12-25 00:30:00 | 国鉄・JR普通列車
205系:山手線


101系→103系と進化を遂げた山手線。国鉄時代の最後の新製電車はステンレス製の205系。昭和60年から導入が始まりました。
なお、第1~4編成の計40両は205系の量産先行車であり、外見も2段窓になっているなど、特徴的で判りやすくなっています。








6×4.5のブローニーサイズリバーサルからのスキャンです。
正確な撮影日の記録が無いのですが、前コマから判断すると平成15年の1月か2月くらいじゃないかと思います。

205系の撤退がアナウンスされ、何時かは撮りにいかなければと思っていたのですがなかなか腰が上がらず、ある休みの日に首都圏に雪が降ったため、一念発起して出掛けて行ったのです。

結局のところ雪になったり雨になったりで雪中の写真を撮ることができなかったのですが、205系「山手線」の唯一のマトモな写真となってしまいました。

一部のサハを除いては各地方にも散らばって元気に活躍している205系ですが、このオリジナルのウグイス色を使っている線区はないため、205系としては幻のラインカラーとなってしまいました。

103系山手線を撮影したことの無い前科者としては、こんなくらい写真でも、貴重な山手線の歴史を残すことが出来て良かったと思います。


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国鉄 広尾線:キハ22

2011-12-24 00:30:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 広尾線:キハ22


新幹線が連続しましたので、今日はローカル線からにします。

広尾線は、根室本線の帯広駅から南下し、終点の広尾駅まで84.0kmを有する比較的に距離の長いローカル線です。昭和4~7年にかけて開業・全通しました。
計画では日高本線の様似駅と結ばれ苫小牧~帯広間を直通することになっていたようですが、様似~広尾間は鉄路が敷設されることは無く、国鉄バスがその接続を担っていました。
森進一さんが一世を風靡した「えりも岬」も、本当は鉄路が直ぐ近くまで通る予定だったんですね。

※すべて昭和56年3月16日撮影です。




昭和56年2月当時の時刻表を見ると、5往復設定されているすべての列車が帯広~広尾間を直通運転しており、途中折り返しの設定はありません。片道の所要時間は約2時間で、2本の列車が行ったり来たりしていたようです。



終着 広尾駅にて

終点の広尾駅で撮った記念写真です。北海道では珍しく、車体前面にナンバーが付いていないキハ22形です。
この時点ではまだ貨物営業もしており、ホームの途切れた向こう側には何両もの貨車が留置されています。




愛国駅の駅名板。本数の少ないローカル線ゆえに途中下車するにも行かず、ただ通過するのみの同駅でしたが、偶然にも座っていたボックスシートの脇に駅名板が止まったので、なんとかコレだけでも撮ることができました。

『愛の国から幸福へ』というキャッチフレーズで全国的にも有名になり、切符は売れるわ、歌は発売されるわの一大ブームを巻き起こしました。私が未だ小学生の頃だったかもしれません。ちなみに、歌を唄っていたのは「芹 洋子」さんです。




おそらく、芹洋子さんがこの曲を発売した当時に作成されたと思われる切符入れです。
私も小学生の頃、特に朝の番組とかで良く聴いた記憶があります。今でもそのメロディー、歌詞は覚えていますね。




こちらは袋を開いたところです。「話題の新曲」となっていますので、発売されて間もなく作成されたものでしょうか?この曲に対し、国鉄の息が掛かっていたのかまではわかりませんけど・・・。
いずれにしても、この曲が当時それなりに流行、語呂合わせや縁起切符の話題性を先取りし、ローカル線ブームの火付け役になったことは間違いありませんね。




JR北海道釧路支社発行のオレンジカードです。
題目は「なつかしの 愛の国から幸福へ」で良いのかな?
裏面の記号を見ると1987年(昭和62年)になっていますので、まだそれほど「なつかしい」時代にはなっていないように思うんですけど(笑)。

単に観光用のD型入場券・乗車券を並べただけの図柄なんですけど・・・この記念乗車券の日付も当日を示しており、単純ながらも密かにこだわりを感じることが出来ます。


国鉄広尾線は、全国的にも有名な路線にはなったわけですが、やはり赤字であることから第2次特定地方交通線に指定され、昭和62年2月1日をもって惜しまれつつも廃止されてしまいました。

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東海道新幹線:500系「のぞみ」 (その3)

2011-12-23 00:30:00 | 新幹線
東海道新幹線:500系「のぞみ」


続きで申し訳ありませんが、500系「のぞみ」の3部目です。



平成20年8月16日 三島駅にて 「のぞみ6号」

単独で「ふじぶさ」と兼ねての遠征。
このときは動画中心に撮影していたため、画像はほとんど残せませんでした。



① のぞみ6号   三島駅通過
② のぞみ172号 小田原駅通過
③ のぞみ187号 小田原駅通過



平成20年12月20日 新富士~三島間にて 「のぞみ6号」



平成20年12月20日 三島~新富士間にて 「のぞみ29号」

岳南鉄道と兼ねて富士山バックの有名ポイントまで行きました。
置き換えが進行してしまい、最後は1往復となり、撮影効率が悪くなってしまいましたね。結果的に遠征は最後となってしまいました。






平成21年2月28日 新横浜~品川間にて 「のぞみ6号」

東海道新幹線500系「のぞみ」を捉えた最後の写真。それは初めて撮影した多摩川の河川敷でした。

3回に分けてお届けいたしました。
それほど撮りに行けた訳ではないですが、それなりにコマ数は稼いでいます。珍しく「ハマって」しまいました。
しかし、1度も乗ったことがないのに無くなってしまったのはやはり残念ですね。
せめてもの救いは「こだま」として残っていること。

300系の全廃もアナウンスされ、700系も余剰気味に感じる中、また500系に会いに行くことができるでしょうか・・・。

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東海道新幹線:500系「のぞみ」 (その2)

2011-12-22 00:30:00 | 新幹線
東海道新幹線:500系「のぞみ」


昨日の続きで、新幹線500系「のぞみ」の第2部です。



平成19年11月23日 田町駅にて 「のぞみ9号」回送



平成19年11月23日 小田原駅にて 「のぞみ17号」



平成19年11月23日 新横浜駅にて 「のぞみ33号」



平成19年11月23日 新横浜駅にて 「のぞみ187号」



平成19年11月23日 品川~新横浜駅にて 「のぞみ41号」



平成20年3月29日 東京駅にて 「のぞみ6号」



平成20年3月29日 東京駅にて 「のぞみ29号」




すみませんがもう1回続きます。

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