茨城交通 キハ22形:キハ221
前記事『茨城交通 キハ200形:キハ201』にチラッと写っていた茶色い車両。元羽幌炭礦鉄道からやってきたキハ221です。
羽幌炭礦鉄道キハ22形は、昭和35年~41年にかけて導入された車両。羽幌炭礦鉄道は昭和45年に廃止となっています。その際、車齢の若かったキハ22は茨城交通へ譲渡されることになり、昭和45年~46年に掛けて3両全てが入線しています。
キハ221は、平成10年まで活躍しましたが、運用離脱後は阿字ヶ浦駅でやはり更衣室として使用されていたようです。
※撮影は、平成18年4月30日、茨城交通阿字ヶ浦駅にて。
内陸側は潮風や陽当りがそれほどでもないのか、色褪せがあってもそれほど劣化はしていないようでした。
一方の海側は、正面も含めてボロボロです。左右でこれほどまでに影響が違うのでしょうか?
最後は羽幌炭礦鉄道時代の塗装を再現し、このように社章や会社名まで再現されていました。
国鉄キハ22形と同形態で、本家キハ22もキハ20系の中では遅くまで使用されていた関係もあってか、私自身の注目度は低い車両でした。
にほんブログ村
前記事『茨城交通 キハ200形:キハ201』にチラッと写っていた茶色い車両。元羽幌炭礦鉄道からやってきたキハ221です。
羽幌炭礦鉄道キハ22形は、昭和35年~41年にかけて導入された車両。羽幌炭礦鉄道は昭和45年に廃止となっています。その際、車齢の若かったキハ22は茨城交通へ譲渡されることになり、昭和45年~46年に掛けて3両全てが入線しています。
キハ221は、平成10年まで活躍しましたが、運用離脱後は阿字ヶ浦駅でやはり更衣室として使用されていたようです。
※撮影は、平成18年4月30日、茨城交通阿字ヶ浦駅にて。
内陸側は潮風や陽当りがそれほどでもないのか、色褪せがあってもそれほど劣化はしていないようでした。
一方の海側は、正面も含めてボロボロです。左右でこれほどまでに影響が違うのでしょうか?
最後は羽幌炭礦鉄道時代の塗装を再現し、このように社章や会社名まで再現されていました。
国鉄キハ22形と同形態で、本家キハ22もキハ20系の中では遅くまで使用されていた関係もあってか、私自身の注目度は低い車両でした。
にほんブログ村