青函連絡船「羊蹄丸」
「羊蹄丸」は、昭和40年に就航、青函連絡船が廃止されたのが昭和63年ですから、その活躍は僅か23年です。
私は青函連絡船に5往復、都合10回乗船していますが、何故か「摩周丸」とこの「羊蹄丸」に3回ずつ当たっており、非常に縁の深い船です。
廃止後、整備をして船の科学館で永らく保存されてきましたが、新しい旅客ターミナルの計画が策定となり、これに合わせて保存船もご用済みとなり、四国に送られ解体されるということになってしまいました。
この「羊蹄丸」に乗船した頃は単なる移動手段であったために写真を撮ることもなかったのですが、現場仕事の関係で保存中の同船を撮ることができました。
平成22年9月1日
小笠原出張の際、小笠原丸の船上から撮影した羊蹄丸。
エンブレムはJRからJNRへ復元されましたが、塗分け線が違うようです。
平成23年11月15日
こちらも現場回りの際に「ゆりかもめ」車窓から撮影したものです。
既に情報として「同館リニューアルのため展示を終了しました」ということを知り、下車する時間もなかったので車窓からでもと撮っておいたもの。
譲渡先は、愛媛県新居浜市『東予シップリサイクル研究会』への贈与が決まったとあったのでホッとしたのも束の間、続きを読むと「2012年に新居浜東港で一般公開後、解体され資源リサイクルされる予定」とプレスされており、実際に平成25年4月に解体が完了したそうです。
これだけの巨大物体ですし、さらに保存場所が海水上となりますから、保存するのも大変そうです。青春時代の思い出が一つ消滅しました。
オマケ画像で、羊蹄丸内で発行された急行券。
青函連絡船では、指定席券も含め乗り継ぎの乗車券類が発行されていました。
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「羊蹄丸」は、昭和40年に就航、青函連絡船が廃止されたのが昭和63年ですから、その活躍は僅か23年です。
私は青函連絡船に5往復、都合10回乗船していますが、何故か「摩周丸」とこの「羊蹄丸」に3回ずつ当たっており、非常に縁の深い船です。
廃止後、整備をして船の科学館で永らく保存されてきましたが、新しい旅客ターミナルの計画が策定となり、これに合わせて保存船もご用済みとなり、四国に送られ解体されるということになってしまいました。
この「羊蹄丸」に乗船した頃は単なる移動手段であったために写真を撮ることもなかったのですが、現場仕事の関係で保存中の同船を撮ることができました。
平成22年9月1日
小笠原出張の際、小笠原丸の船上から撮影した羊蹄丸。
エンブレムはJRからJNRへ復元されましたが、塗分け線が違うようです。
平成23年11月15日
こちらも現場回りの際に「ゆりかもめ」車窓から撮影したものです。
既に情報として「同館リニューアルのため展示を終了しました」ということを知り、下車する時間もなかったので車窓からでもと撮っておいたもの。
譲渡先は、愛媛県新居浜市『東予シップリサイクル研究会』への贈与が決まったとあったのでホッとしたのも束の間、続きを読むと「2012年に新居浜東港で一般公開後、解体され資源リサイクルされる予定」とプレスされており、実際に平成25年4月に解体が完了したそうです。
これだけの巨大物体ですし、さらに保存場所が海水上となりますから、保存するのも大変そうです。青春時代の思い出が一つ消滅しました。
オマケ画像で、羊蹄丸内で発行された急行券。
青函連絡船では、指定席券も含め乗り継ぎの乗車券類が発行されていました。
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