マル鉄・鉄道写真館

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キハ40:阿武隈急行(非電化時代)

2019-08-03 23:57:00 | 第三セクター
キハ40:阿武隈急行(非電化時代)


阿武隈急行は、福島駅から東北本線を迂回するように槻木駅へと至る交流電化の第三セクターの鉄道です。
昭和47年4月1日に国鉄丸森線として開業した路線で、当初の目的は東北本線の勾配区間の緩和を狙って計画された路線と言うことです。路盤は完成に限りなく近い状態まで工事されていましたが、東北本線の複線化により計画が頓挫、槻木駅~丸森駅間が開業したのみの盲腸ローカル線として運行されていました。

その後、第1次特定地方交通線として廃止が承認され、昭和61年6月30日をもって廃止となっています。しかし、福島・仙台の近郊区間としての活用、阿武隈川の観光開発としての利用を見出していた福島・宮城両県は、同線を生かした上で建設途中の路線を全通させ、第3セクターとして再出発させることとなりました。

延伸区間の建設中は、国鉄時代の丸森線部分をそのまま引き継ぎ、特別な塗装を施したキハ22により運行を開始、転換からちょうど2年後の昭和63年7月1日、全通とともに交流電化の第3セクター鉄道として完成し、現在に至ります。

阿武隈鉄道全通後は未だに訪問したことがないのですが、東北本線への撮影の帰路に、1度だけ寄り道したことがありました。

※撮影は、昭和62年8月です。








延伸電化開業のアナウンスがあったため、ご用済みとなるキハ22を撮りたくて寄り道したわけですが、この日の運用はなんとJR東日本のキハ40でした。当時は最新情報を得る方法などなかったので諦めてしまったのですが、今になって調べてみるとまだキハ22は廃車になっていなかったようです。
こうしたシチュエーションでは車庫に寄ったりするものですが、この時は8月になっても梅雨が明けずに雨が止まなかったため、最悪の雰囲気にそのような判断も潰されてしまったようです。

キハ22の譲渡により稼働した第三セクターに、何故JRのキハ40が走ることになったのか、今もってその理由は分かりません。

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