ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

裏方修行が不足だよ!50(歳)を過ぎたら板(舞台)地獄⑧

2007-07-04 23:26:52 | 演劇

 フレンドリープラザ演劇学校の2年間、いろんなことを教わった。発声やダンス、演技の基礎と言った役者の基本はみっちりたたき込まれた。その他、メイク、制作のあり方、照明、なんて講座もあった。校長井上ひさしさんの講義もあった。もちろん、酒飲みもあった。

 でも、中心はやっぱり、役者修業だったな。裏方仕事は、さらっとなぜただけってところだね。照明の講義だって、50人近い生徒が交代交代で、調光室に入り込むんだから、説明されたって、まるでまるで。回路?フェーダー?パッチ?なんのこと?まるで身に付かなかった。中でも装置作りについてはまったく教えてもらえなかったなあ。

 だから、菜の花座立ち上げたとき、ほとほと困ったんだ。まるで、まったく、まるっきし、とことんわかってないのに舞台作ったんだから。旗揚げ公演『僕の時間の深呼吸』(作高泉淳子・演出:清野英子)じゃあ、僕は舞台監督だったんだけど、今思うにいやあ、ひどいもんだった。演出にはつくづく悪いことしたって、今も心の内じゃ反省。だって、演出がこうしたいって言っても、勝手にプラン変えちゃったりしてたんだもん。いやはやどうも、困ったもんだ!

 装置の基本もまったくわかっちゃいないから、とんでもないもの作った。幅10センチほどの板を組み合わせて舞台全体に奥行きの浅い棚のような、すけすけの装置作ったんだから、もう、まったく信じられない。役者の出はけも丸見えなんだぜ。

 でも、けがの功名って言うか、素人の怖いもの知らずって言うか、この装置が、奇想天外でなかなかの評判だったんだ。えぇーっ!この装置これで壊しちゃうの?!って何人もの人から惜しまれた。

 それはともかく、スタッフ経験ゼロってのは、その後もほんと、苦しんだ。だって、劇団の責任者でしょ、演出家でしょ、何にも知らないなんて言えないじゃないか。いかに分かったフリして、話し合わせるのに苦労したか!今、思えば、分からないんです、教えて下さいって、開けっぴろげで言ってしまえばよかっただけど、その頃は気負ってたからね。教えてのひと言が言えなかった。そのことでどんだけへましたか知れないね。

 でも、その分、自分で夢中になって勉強した。これは役にたった。演劇始めて10年、装置作りも、衣装も、照明も、音響も、メイク?も、まあ、そこそこに舞台の裏表分かるようになったから。

 しかし、演劇学校なら、舞台に関わることはすべて教えて欲しかったな。プラザ演劇学校は、ちょっと役者修業に偏っていたって思う。だって、卒業公演もソーントン・ワイルダーの『わが町』、装置をほとんど使わない芝居だったくらいだもの。

 演劇は、なんたって総合芸術なんだ。役者の肉体が中心とは言っても、その他の要素も決して馬鹿にできない。一つ一つが複雑に補いあって生き生きとした舞台が完成する。その証拠に照明当てた途端に、ほーっとため息出るくらい舞台が浮き出てくるんだから。いやいや、それ以上に、照明も、美術も、音響も、どれもこれも実に楽しいものなんだから、このわくわくする面白さを教えないって手はないと思うんだ。

 もし、僕がもう10歳若かったら、絶対!照明の勉強してる。だから、ちょっと、ねたましいんだよ、演劇部の3年生で照明の専門学校行くって奴が!!その分、いいか、がんばれよ!

コメント (2)
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