終戦、敗戦記念日の15日(火)はオフ。
早朝、Tama+ projectの共同作業者のHさんからLINEが入る。
こりゃあやるしかないじゃん、と思いつつも日程調整。
その後、整体へ。
ギリギリまで起き上がる気になれず、ヨタヨタと自転車で出かける。
終了後、体が整い、まっすぐ立てるようになって帰宅。
もうここの先生のおかげで舞台に立てている様なもんです。
ご飯食べてちょっと仕事したのだけど、猛烈な睡魔に負けて午睡。
夜、録画したドキュメンタリーを見る。
南方の島々での悲劇。
日本兵が沖縄の琉球人をウチナーを話しただけでスパイ容疑で殺したり。
なんでそれがスパイの理由になるのか、全くわからない。
他の島でも洞窟に避難している民間人に自殺や子供の殺害を強要したり、と。
絶対に忘れてはいけないのは、彼ら日本軍の兵士が非武装の住民を守ることがなかったこと。
どころか「死」を強要したこと。
迫るアメリカ軍に対し自分が盾になって戦う、みたいな話は聞いたことがない。
「玉砕」を強要したのは、きっと自分たちが上官からそれを強要されていたからだろう。
「いじめ」のルーツがここにある様な気がする。
そして、理解できない人は全部「敵」なんだろう。
その「理解」の範疇があまりに狭すぎるのは、今の政権の男性を見ていても感じるところがある。
昨今、戦争をイメージさせている勇ましい人たちに、自分はこの過去の人々を重ね合わせて見ている。
もちろん戦いを先導、扇動して生き残って畳の上で死んでいった老人たちにも重なる。
士官候補生として終戦を迎えた父や東京の空襲でB29からの機銃掃射、
(走って逃げる小学生を、機上から撃つ米兵のイメージは自分の中に今も色濃くある)
から生き残った母が、その体験を子供の頃から聞かせてくれた。
そのおかげで戦争に対して生々しい泥臭さ血生臭さを持ってみる視座を得ることができた。
お盆の今日、父にも南方で戦死したその兄にも感謝、合掌。