泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

原爆忌に

2013-08-11 10:06:29 | 丹下一の泡盛日記
8月6日(火)も8月9日(金)も仕事の合間に、手を合わせて黙祷した。
1969年から71年の2年間、父親の転勤で長崎に暮らしたことは、自分の人生に決定的な影響を与えている。
民俗芸能や演劇、音楽、美術への本格的な興味はこの時からだ。
そして、小学校の同級生のご両親は大抵が被爆者だった。
親友Kのお父さんは額に三日月のような大きな傷があった。
担任の先生はあれから25年経ってようやく肘に入ったガラスの破片をとる手術を受けたと話し、「その時」どんなことが起きたのかを話してくれた。
今の原爆記念館にはないが、以前の記念館には無脳症の胎児の写真が展示されていて非常なショックを受けた。
そして、その後進駐軍がやってきて治療してもらえると集まった人たちを実験動物のように扱った話も聞いた。

だから核兵器が地上から無くなることを心から願っている。
核兵器を持ちたいと思っている人々がいることが残念だし、長崎市長はよくぞもの申してくれたと思う。
軍需産業が成長しないと生きていけない国家システムがなぜつくられたのだろう。
あまりにも悲しいシステムだ。

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ホットな週末

2013-08-11 09:31:34 | 丹下一の泡盛日記
8日(木)、かつての伴走者Mと横浜中華街を歩く。
茶館に落ち着いて茶を飲みながら話す。
かつてこうやってゆっくり話す時間が自分たちにはなかった。
それを取り戻している。

9日(金)仕事でシャンソンの公演に立ち会う。
外は猛暑だが劇場内は涼しい。
そして搬入用のエレベーターに乗ると「なんだこの蒸し風呂は!」状態。。。。
外で働いている人は、地獄だね、とかつて建築現場で働いた夏を思い出す。
この日の仕込みは、床を張ったり平台を組んだりする作業が嬉しい♪
なじみのある舞台のたたきの世界と同じだからだ。
もう長いこと「なぐり」(舞台用のトンカチ)を持っていない。
この頃は釘を打つよりも木ねじを使うことの方が多い。。
自宅の仕事机を自分でつくったりしたのが懐かしいなあ。

10日(土)、猛暑に身体が参っているのだろうか。
珍しく寝坊。20分近く遅れて六本木の打ち合わせに。
その後、両国のシアターΧで9月に出演する「渇き」(ユージーン・オニール作)の初稽古。
「顔合わせ」と聞いていたが、演出の大内三朗さんなら稽古するに違いないと思っていた。
稽古場に入っていったらもう椅子が並べられていて、初顔合わせの塙さんと挨拶のそこそこに「じゃ、稽古しましょう」。
いい感じ。
しかも台本持ってそのまま立ち稽古。
こういうの大好き♪
作業の大変さに改めて気合いが入る。
あ、その前にプレイバッカーズの公演もあったりするのだった。。。。
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