泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

「処分」される犬たち

2008-04-18 22:15:02 | 丹下一の泡盛日記
 朝起きるとなんかどよ~んとしている。天気のせいか。雨の中車飛ばしてかみさんの母、大ママを迎えに行く。戻ってお昼。
 手術の経過も順調な大ママ。もちろん完全復活にはもう少し時間がかかりそうだ。だからお昼ご飯はおかずの数を多くしてちょっとずつたくさん食べてもらえるように。

 新聞に飼い主から捨てられた(引き取り願いも捨てられたってことだ)犬たちの施設の記事が出ていた。何千匹もの犬たちが毎年殺されている。そういう施設が各県に一つずつあり、毎日稼動している。
 胸が締め付けられるような悲しみとともに強い怒りを覚える。日本のハコモノ行政もここに極まれり、という気持ちになる。
 建物はもとより犬を殺すための炭酸ガス装置も誰かが考えてつくったもの。特許もとっているかも。
 そして何よりも最初に「殺す」ことを前提として、膨大な予算が計上されていることに疑問を感じる。同じ予算で「生かす」ことはできないのか。

 フランスでは、同様の施設で犬たちは死ぬまで暮らすことができる。予算としてどれほどの違いがあるのかわからない。殺してしまうほうが効率がいいのだろうか。
 そして、そこに従事する職員の方たちの心の問題は考慮されていないと思う。殺す仕事より一緒に暮らす仕事のほうを選びたいのではないだろうか。
 こんなところにも、この国の「共存」よりも「排除」を選ぶ姿勢を感じてつらくなるのは自分だけだろうか。

 施設に引き取られた犬たちは5日間だけ猶予が与えられ、その間に引き取り手がいなかった犬は殺されてしまう。新聞に施設に入ることを拒否して必死に足を突っ張る小さな犬の写真。アウシュビッツだってもうちょっと生きることができた。

 このような思考回路は犬を対象としているだけでなく、当然、お年寄りや病人、ホームレスなど社会的な弱者にも向けられつつある。問題は犬のことだけにとどまらない。そしてそんな人たちもあの犬たちのように扱われる時代が来ないことを願う。
コメント
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