レオス・カラックス監督「アネット」を見る。
なんじゃあ、こりゃあ、と
松田優作みたいに叫びたくなったのは自分だけだろうか。
この監督の映画をありがたがるシネフィルたちに
冷や水を浴びせるような怪作ぶりに
翻弄されっぱなしの140分。
いや、あの。褒めてるんですよ。誤解なきよう。
これはミュージカルである。
だから、登場人物がいきなり歌ったり踊ったり、
ときには空を飛んだりしても全く問題ない。
さらに映画自体が実写とアニメの境界をさまよっても
ミュージカルの範疇であれば違和感はない。
と思っていたのに。
いざ、何でもありな描写を見せつけられて
戸惑う自分がいたというか。
なぜ主人公たちの娘がパペットなのか。
冒頭、カラックス監督がしれっと登場して、
やたら可愛い女の子(監督の娘らしい)が出たと思ったら、
そのあと全く登場せず肩すかしを食ったり、
古館寛治に似た人が出てるなと思ったら実は本人だったりして、
どうしてそんなキャスティングをしたのか、とざわめいたり。
映画自体に集中できなかったのが本当のところ。
アダム・ドライヴァー演じる主人公が、
己の才能の限界を感じ、だんだん病んでいき、
ついには才能あふれる妻を殺めてしまう。
そんな男の苦悩を描いたミュージカルであることを
すっかり忘れ、ヨコシマな心のまま見てしまったというか。
こんな映画の見方は駄目だ。
映画を見る行為とは、スクリーンに写し出されるものを
目と耳と皮膚で、感じ取ることだと
大学生のときに教わったはずなのに。
かつて「汚れた血」や「ポンヌフの恋人」で、
切なくも暴走する主人公に
魅せられたシネフィルたち(自分も、だ)は、
邪心があればあるほど、この新作が描こうとしているものから
遠ざかっていく気がするのです。