フレデリック・ワイズマン監督
「ボストン市庁舎」を見る。
これぞ行政。これぞ公僕。これぞ民主主義。
ワイズマン監督いつもの淡々とした演出なのに、
高揚感と正義感、
さらには勇気と希望まで与えてくれる272分。
市民のために何ができるかを考え、
そして実行する。それこそが行政に携わる者の義務だ。
当たり前と言えば当たり前のことを
本作は4時間以上の上映時間をかけて淡々と写し出す。
警察や消防、保健衛生や
高齢者や障害者への支援など、
多種多様な市民のニーズに、
これまた多種多様なサポートをおこなう人たち。
彼ら彼女らは「人々のために」というよりは、
あくまで「これが仕事だから」という態度であり、
使命感に燃えて行動するのではなく、
業務として市民のサポートをしているに過ぎない。
確かに、市民が受ける公的サービスは
情熱があろうとなかろうと、それが適切であればいいのだから。
映画は撮る対象に近寄るわけでもなく、
だからといって突き放すわけでもない。
絶妙というか独特の距離感はこの監督ならでは。
唯一エモーショナルなのは、
映画に何度も登場するマーティン・ウォルシュ市長だ。
労働者階級出身で、精神疾患の病歴を持つ彼が
市民のために語るいくつかの場面は、どれも感情を揺さぶられる。
前作の「ニューヨーク公共図書館エクス・リプリス」同様、
近作のワイズマンは、人間と社会システムの良い部分に
さりげなく光を当てるものが多くて、ずいぶん見やすくなったと思う。
世評が高いのも頷けるし、
彼の映画はシネフィルだけのものではなく、
広く多くの人たちに見られるようになってきているのは
とても喜ばしいことだと思う。
「ふんふん。ワイズマンはね〜うんぬんかんぬん」
と、偉そうに話すシネフィル(自分、だ)の出番はありません。
役に立たない蘊蓄をひけらかすのはやめて、
私利私欲ではなく、人々のために働こうと思った次第。