桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

嬉しい知らせ

2011-08-26 | Weblog
昨夜は飲み会だった。言いたい放題会!そんな飲み会だったが、馴染みの店主に久しぶりに会えば、すい臓癌だったとのこと。
もちろん、陶板浴に通うことを勧めたが、飲み会の途中に連れ合いから、母親の癌
は投薬も必要なく済むとのメールがあった。
年齢を思えば、その手術も案じられたし、術後も心配だったが、本人も「薬も貰えないの?」と拍子抜けしたように言ったそうで、思った以上の経過で嬉しかった。
両親は「陶板浴の効果があったのかなぁ」と言っていたらしいが、本当にそうかも知れない。
癌の方は、ぜひとも陶板浴に通って欲しいものだ。

国立支部

2011-08-25 | Weblog
昨夜は、先日の武蔵村山に続いて国立支部での集会だった。
参加者は16名ほど。
何時も通りに判決やら捜査やらを話したが、布川事件の抱える誤りの本質を、皆さんが理解してくださった。
その感想の中で、俺が支えとし、力とした救援会の活動の重要さを知った、と言ってくださった人がいたのが嬉しかったなぁ。
人権は国は守ってくれない。自覚して人権侵害と闘い、人権を守れ!と求めないと、絶対に守れない。だからこそ、救援会のような組織は大事なのだと思う。

文化放送

2011-08-25 | Weblog
昨日は、弁護団会議を途中で抜けて文化放送の生番組に出演した。
東京拘置所では、桂たつやの夕焼けワイドを、良く聴いていた。低音の桂さんの声を聴きながら、自由と社会を待ち望んだ日々があったけど、あれから30数年が過ぎて出演する立場になったのを考えると不思議な気持ちで、この前のTBSと同じように感慨を味わった。ゆうゆうワイドとは違って、番組構成の中で細切れに事件のことや思いを話したので、聴いていた人は集中し憎かったらしい。でも、俺は、何時もの通りだった。
全世界にユーストリームで映像が流され、パリからの言葉がパソコンに表示されるのを見て、情報社会の変化を目の当たりにした。
凄い時代になったねぇ。

おい、茨城県警!

2011-08-24 | Weblog

俺が嘘の自白をする切っ掛けになった嘘発見器の記録用紙を保管した茨城県警根本町倉庫の話は、もう何度も書いた。
1986年に発生した那珂川の洪水によって根本町倉庫が水に浸かり、記録用紙は流失したと言うのが、県警の言い訳だ。
この根本町倉庫は、たまたま連れ合いの実家へ行くルートにあり、近いものだから、本当に流失したものか、倉庫の近所を歩いたりして調査したこともあった。もちろん、嘘の言い訳とは判っていた。大体、検察の提出した書面に「茨城県警根本町車庫及び倉庫」と記載されていているが、行って見れば車ばかりが車庫や庭一杯に留め置かれていて、どこにも捜査資料を保管出来るような建物は存在しない。
この10年来、根本町車庫の存在を知ってから、そこの状態に変化はなかったが、布川事件が無罪になり、フライデー記者と行った以降、突然に留め置かれていた車が消えて無人になった。
なぜだ?と考えて来たが、茨城県警は、また証拠隠滅をするのではないかと思った。今の車庫状態を解消し、書類を保管する施設を作り、布川事件の国賠裁判に備える!ね。
おい、茨城県警!隠してもダメだぞ!
お前たちのした罪は、もう消せない。消えないんだ。悪足掻きを考えてるならば、止めろよ!
写真は、昨日の根本町車庫及び倉庫だ。庭には、早くも草が伸び始めていた。

ヒロトのキュウリ

2011-08-24 | Weblog
先日、川上家で祝杯を上げたとき、ヒロトが俺に「ショウジにプレゼントがあるから!長くて、大きいよ!何か判る?」なんて言っていた。
家に行ったらば、デカイ胡瓜を持って、待っていた。何でも、お盆休みで家を留守にしたとき、採り忘れて帰ったらば成長し過ぎていたモノらしい。
「ショウジに揚げる!」と言い、俺へのプレゼントになったらしいが、きっと大きさに驚かせ、喜ばせようとしたのだろうと思ったらば嬉しい限りだった。
写真は、30センチ物差しと較べた胡瓜。

延期

2011-08-23 | Weblog
来月、俺のディナーショーを行う予定だった。
今までにも、何度か唄って来たから、特別にショーだと緊張する思いはなくて、どうなるかと楽しみにしていた。
そんな今朝、ディナーショーを開いてくれる主催者が、足利市でバイク事故を起こして入院加療となり、ショーの開催を延期したいと連絡が来た。
まあショーを楽しみに待ってくれている人は少ないだろうが、俺自身が楽しみだっただけに残念!

仲間

2011-08-23 | Weblog

俺には、種々な仲間がいる。僅かに、昔からの仲間もいるが、大半は、冤罪と闘う中で得た仲間だ。
昨夜は、布川勝利の祝いをしょう!と声を掛けて頂き、足利市の東葉館で祝杯を上げた。
足利事件の菅家さん、その支える会の方、狭山事件の石川さん夫婦、狭山事件の関係者、救援会の方など、10名ほどが集まってのお祝いだった。
まず、館林市の菅家さんの妹さんが働くお好み焼き屋へ行った。
その後、東葉館に戻ってのカラオケ。
皆さんが、お祝いのケーキやらプレゼントなどを用意してくれ、自分のことのように勝利を喜んでくれ、本当に嬉しかった。
俺は幸せ者だ。

祝杯

2011-08-23 | Weblog

これまで、何回、勝利の盃を掲げたか判らない。
21日は、川上家で、ヒロトの5歳祝いと一緒に勝利の乾杯をした。
最後は、家庭カラオケまでやり、楽しい夜を過ごした。

武蔵村山

2011-08-21 | Weblog
志村けんの歌で有名な武蔵村山にある救援会に招かれて、今日は冤罪に付いて話して来た。
市報にも、今日の集会の告知がなされたそうだが、参加者は50名はいたろうか。
午後2時から4時までの予定で、沖田国賠報告に続いて、俺が1時間10分ほど、あれこれを話した。
残る時間が質疑だったが、時間もあったし、今日は1曲、唄った。
準備したCDも売れたようだし、皆さんに冤罪を理解して貰えた集会だったと思う。

慟哭

2011-08-21 | Weblog
早く行きたいと思っていた弔問に行った。
彦根の阪原家。
冤罪の苦しみは、いかに明るく楽しく闘った俺と言えども知っている。その苦難の思いを満足に話し、伝えられなかったろ日野町事件の阪原弘さんは、どんな気持ちだったかと、思わぬことはない。自由を得られずに死んでいった苦痛はいかばかりと思えば、何時も涙が流れてしまう。
その葬儀にも参列出来なかった俺だから、とにかく早く弔問したかった。
一昨日、やっと訪ねられた。
遺影は、裁判中に病気で釈放されていたときのものだったが、家族は持っていなくて雑誌から得たものだとか。
家族の話も聞いた。
痛みは続き、また生まれ続けていることを聞かされて、その深い悲しみを知ったが、改めて警察、検察、裁判所に怒りを覚えた。
こんな人の良いオッサンを、なぜ犯人にしたのだ、こんな良い家族を、なぜ苦しめたんだ!と思ったらば、必ずやってやる、俺がやってやる!の思いを深めた。この家族のためにも、更に為すべき使命に力を入れなければならない。