桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

朝イチに

2011-08-16 | Weblog
連れ合いが、 朝起きて「私って優しいでしょ!」と言う。テーブルに置いたパソコンに繋がる線の上に座布団を被せてあり、「あなたが起きたとき、引っ掛けないように被せて置いたんだよ。この気遣い、優しいよね」だと。
でも、俺が返事をしない前に、すぐに本音を言う。
「本当はさ、夜中に起きたとき、コードに足を引っ掛けたらば、何で線が繋がれてる!と怒るでしょ。だから、引っ掛けないように、怒られないように、やったんだ」と言い、俺が「やはり優しさじゃなくて怒られることか!」と言ったらば、「でも、これは優しさだよねぇ」と、一人で喋って台所に行った。
連れ合いの一人語りも面白かったが、怒られないようにしたと言った本音に苦笑の朝だった。

あきら

2011-08-16 | Weblog
俺が社会に帰ったとき、 親戚に娘が二人いた。 11歳と9歳だったが、土方仕事をして帰ると、それから一緒に走ったり、我が家に来て学校でのことを話したり、毎日のように会っていた。子供が大好きな俺は、この子供たちに癒やされたが、成長するに連れて女性になる子供たちとの付き合いが巧く出来なくなり、自然と会わなくなった。
しかし、二人も大人になり、一人は母親に、一人は美容師になったことで、また会ったり、 話したりするようになった。
昨日は、姉の方が、北松戸のマンションに遊びに来たい!と望まれて、その子供と一緒に会った。
名前は、あきら。平仮名で女の子だ。食べても筋肉にならないなど、成長が巧く行かない病を抱えた娘で、最初は意識が判らなかったし、通じ合わなかったが、何を望んでるのか、何を言いたいのか、それだけに集中して相手をしていたらば、乳母車からも俺の顔を追ってくれたりするようになり、意思が通じ合うようになった。
完全に母親になった娘を見ているのも楽しかったが、一生懸命に生きている病を抱えたあきらを抱いていて、本当に命の愛しさを感じた一日だった。