桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

生放送

2011-05-26 | Weblog
今夜は、TBSラジオの生番組に出演した。
外山恵理さんの午後10時からな番組だが、判決翌日と言うことで、映画、ショウジとタカオの監督、井手洋子さんと3人で出演した。
何度も3人で放送に出ているし、慣れてもいるから、別に問題はなかった。何時もと同じに、もう少し話したかったなぁ!と思って終わりだった。
驚いたのは、放送中に届く視聴者からのフアックスやメールでリアルタイムで反応が判ることだ。俺の高校での講演を聞いた現役高校生の「そこで聴いた歌を、もう1度唄って」が、凄く嬉しかった。俺は唄いたかったが、2人だからなぁ。
人生は楽しい、生きていることは楽しい、俺の人生観は、それに尽きる。悩んでもいい、苦しんでもいい、辛くてもいい、その思いに直面することは痛みだが、痛みを乗り越えれば、乗り越えた自分に自信が生まれ、苦痛そのものも喜びに変わるのだ。幸せや喜びは、それだけのこと、苦痛が喜びや幸せに変わることを体験すれば、苦痛を体験することが自分を変える貴重なものだと判るのだが、そんな思いも語りたかったが、時間が短かった。
しかし、拘置所や刑務所で愛聴した大沢ユウリのゆうゆうワイド、あの番組のTBSに来たと思ったらば、凄く嬉しかった。
生きているのは楽しいねぇ。あの拘置所や刑務所の日々、まさか将来、聴いている放送局に出演するとは思わなかった。
今、苦しんでいるから仲間、人、絶望しないで欲しい。目の前にあることに全力で立ち向かい、その中にあることを楽しんで欲しい。アナタの一途な生き方は、アナタの一心な時間は、必ずアナタに生きていて良かったと思える刻を与えてくれますから!
そんなことを思い確認した生番組だった。

検察庁

2011-05-26 | Weblog
この組織は、もはや解体するしかない。解体して、純粋に裁判を推進する組織にするしか、正義や真実を守る組織にはなり得ないと、布川事件に対する対応でハッキリしたと思う。
今日の新聞にあるコメント、何も反省してない。まだ有罪と思っているとか、布川事件の結果は、何も影響しないとか、実に不実な言動をしている。
裁判で誤りを指摘されても「犯人だ」と言う!裁判所を認めていないと同じことだが、何でこんな傲慢かと言えば、自分たちが1番と思っているからだ。
法務省の課長以上の78パーセントを検察官が独占し、法務省は検察の下部組織にしている。判検交流と言う手段を得て、裁判官になる検察官が増え、裁判所も犯し始めた。法務省の認めない裁判所人事は、なかなか認めないという不思議な伝統があり、更に、検察庁のナンバー2が最高裁判所に入り、最高裁判所にも支配の手先を入れている。
こんなに力を行使する組織に、誰がしたのだ!
検察庁は、行政の法務省に関与してはいけない。
検察庁は裁判官になってはいけない。
検察庁は、裁判だけに集中する組織でなけれはいけない!
今日、布川弁護団の控訴断念要請に対して、検察官は「会わない」と言う無礼な態度だったらしい。裁判所と癒着したアンフェアーもあったらしく、この組織を裁判専念組織にするしか、今の裁判の不正を是正する道はないと感じた1日であった。

墓参り

2011-05-26 | Weblog
今日は、東京と水戸で検察庁に控訴断念の要請に行った。
俺は、どちらにも不参加だった。検察庁は常識の言葉や思いが通じない組織だ。唯我独尊、自分たちだけが正しいと思い固まった組織で、狂っていると思っている。この組織を正常に戻すためには、社会の力しかないと思っているので、常識の要請には参加しないと決めた。
それで今日は、まず両親の墓参りを第一にした。
自宅に帰り、位牌に手を合わせ勝利を報告、そして墓に行って報告した。
涙がでるかな、と思ったが、涙は出なくて、とても安らかな気持ちで思いを伝えたのは、俺自身の心が安らかだったせいだろう。
親戚、同級生、支援者、保護司など、お世話なった皆さんにもご挨拶したが、訪ねる度に勝利の安らぎを深めるようだった。

祝勝会

2011-05-25 | Weblog
昨日は、記者会見後、支援者、弁護団と一緒に喜びを分かち合った。
勝つのは楽しいもので、参加者は増えて、会場に一杯だった。
壇上に勢揃いした弁護団。支援者があり、この先生方があればこその勝利だった。

喜び

2011-05-25 | Weblog
無罪判決を受けて外に待っ皆さんのところに行ったらば、何重にも重なる人垣。俺の喜びを自分の喜びとしてくださる皆さんを見ていて、俺は幸せ者だと思った。
判決前、裁判所前にいたらば、フッと俺の前に紙袋を差し出す男性。見たらば、中学生時代の恩師だった。俺はどうしようもない奴で、この恩師のカメラを借りて質屋に入れてしまったり、先生には迷惑を影通したが、先生宅に俺が忘れたらしいアルバムがあったとご持参くださったのだ。
恩師が来てくれた喜び、忘れていた昔の思い出の写真を手にした喜び、だった。

嵐の1日

2011-05-25 | Weblog
昨日は雨の中、朝から取材のテレビ局や新聞社が来て朝飯も満足に食べられなかった。
自動車の修理が終わらず、修理工場の大型ワゴン車を借りて来ていたので、それで土浦へ。
土浦駅には、何とか行進出発の10時前に着いた。
駅のペデストリアデッキには、沢山の支援者と取材者がいて、皆さんにご挨拶するのが大変だった。
行進して裁判所に着くと、それからが、また取材の嵐。動くたびにカメラや記者が付いて回り、人を探すのもままならなかった。
午前11時に記者に囲まれての会見。杉山が来て12時にも裁判所前で会見した。
裁判所に入る時には、何人になったろうか、2百人以上の支援者が揃い、圧巻だった。
菅家さん、川畑さん、柳原さん、石川さんの冤罪事件仲間や事件関係者も来てくれた中、午後1時半の、少し前に開廷し、無罪を言い渡された。
初めは嬉しくて、身体が軽くなったような喜びが湧いてきたが、最後のころは、だんだんと裁判官に腹が立った。
事実認定で、全く偽造や証拠隠しに言及しない。いかに騙されたとは言えども、俺たちに誤った判断をした裁判所なのに、平然としているばかりか「これで閉廷します」と言って、昂然て法廷を見渡して座り続ける3裁判官を見て、本当に腹がたった。
でも、判決日に喜んでくださる皆さんを思って耐えた。
布川事件が無実になったのは、検察が隠し続けた証拠が明らかになったからではないか!そこに言及もせず、何が無罪なのだ!と、今でも腹立たしい思いだ。
こんな判決だから検察は裁判所を舐めるのだ。
無罪になった喜びの中、改めて国賠を闘う意志を固めた。

雪冤の朝

2011-05-24 | Weblog
昨夜は、何時も通りに寝てしまった。連れ合いが言うには、横になったらば、すぐに寝息を立てていたとか。
今朝も何時も通り。起きて外を見たらば雨!布川事件は天候に恵まれるのだが、珍しく雨。最後には相応しいかな。
さて、今日はどうなるか判らないが、俺は俺。新しい時間が始まる日になるだろう!

保護観察所

2011-05-23 | Weblog
今日は、保護観察所に行く日だった。
マスコミが一緒に来たが、何時も通りに行き、担当者にお会いして来たが、今日は観察所の偉い人も同席して、今後のことの話にもなった。もちろん、今日で保護観察所行きはお仕舞い。長かった月日の話などもしたが、一番胸に迫ったのは、利根町で保護観察の任務を担って下さった保護司さんの話になったときだった。
俺が利根町に帰った後、月に2回、保護司さん宅をお訪ねしては、奥さんの手料理をご馳走になった。保護司の任務を離れて「桜井の無実は信じてます」と、ある席で言って下さったことがあって、本当に励まされた。もし再審が叶わなくても、俺の生き方で無実を知って貰いたいと思って利根町に帰ったから、俺は、その保護司さんの言葉で自分の月日が認めて貰えたような喜びを味わった。
これで最後の保護観察所だが、俺は保護司さんにも恵まれたと思ったらば、思わず涙が出てしまった。

明日

2011-05-23 | Weblog
判決前日となり、朝、新聞を階下に取りに行ったらば、同じ棟の人から「いよいよ明日ですね」と声を掛けられた。
新聞やテレビでも「明日が判決」と出され、そうなんだと思うが、なかなか実感が湧かない。
「明日はお騒がせします」と応えておいたが、明日になれば、どんな気持ちになるものか。
朝日新聞には、今朝も「検察は控訴しない方針」とあったが、まだ沢山の無実の証拠を隠しておいて「控訴」など、どうあっても出来るはずはなかろう。ならば、潔く「控訴断念表面」でもすれば良いものを、それもならなずに「時間切れ待ち」と言う検察の傲慢。
明日になって湧き上がる怒りは、きっと大きいだろうなぁ。