桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

一安心

2011-05-26 | Weblog
今日は、利根町に代わる家にするアパートを見に行った。北松戸駅改札口で相手を待ち、人の流れを見ていたが、誰も俺を見る人がいなかった。
松戸駅に下りて歩いても同じ。参議院員会館へ行くときも同じ。
菅家さんのようにはならないとは思っていたが、参議院員会館での集会から帰るとき、知らない女性から「おめでとうございます!」と笑顔で話し掛けられただけで済み、安心した。

小泉さん!植竹さん!

2011-05-26 | Weblog
久しぶりに石巻でのボランティア仲間の書き込みがあった。
あれから4度もボランティアに行ったと言う小泉さん、若いだけに凄い活動力だ。頑張ってますね!
植竹さん、アサノさんはお元気ですか?俺の書き込みに対する返事、見てくれてますか?
無罪判決、知ってくれたと思います。
昨夜はラジオ出演したり、こんな立場になればこその体験をしましたが、勝ったからではなく、どんな立場になっても一生懸命は満ち足りた思いを与えてくれるものだと感じてます。
来月末、少し予定のない日があり、二度目のボランティアと考えてましたが、関西の大学からの話があってダメになりました。
まだまだ長い支援が必要ですよね。俺も一段落したらば、また行きます!
お元気で頑張ってください。またどこかでお会いしましょう!

懲役2年

2011-05-26 | Weblog
俺が無罪になったことで「ヒーローだ!」と言う人がいた。
違うね。俺はヒーローなんかじゃない。警察、検察、裁判の誤りで変わった体験をしただけの男だ。
菅家さんのように真面目に生きたわけではないし、実際に強盗殺人事件は無罪になったが、窃盗という自分の犯した罪で懲役2年の刑を受けた。
なぜ少年時代から成人になった当時、あんな生活をしていたのか、自分でも良く判らない。説明出来ない。働くことは楽しいのに、何で怠け者だったのだと、何度も考えたが、解明出来ない。
あの罪があって犯人にされ、結局は善意の皆さんに出会えて、善意の心に包まれて生きる幸せを知ったから、過去の恥ずかしい生き方も、それで良かったと思ってはいるが、決して良いことをしたとは思っていない。44年も過ぎて、過去の犯罪を指摘された懲役2年の判決は、改めて犯した罪は消えないのだと教えられた。これが罪を犯すということなのだ。
これに反して、無実の罪には心の痛みはない。俺は、犯してしまった罪の痛みを知るからこそ、無実の罪を責められる痛みの晴れ晴れしさも知ったが、今、無実の判決と懲役2年の判決を受けた中で、改めて自分の生きて来た月日を振り返る思いでいる。
60を過ぎて、まだ過去に責められるのは辛いことだが、まあ俺のようないい加減な男には、こんな痛みがあった方が戒めかも知れないね。

生放送

2011-05-26 | Weblog
今夜は、TBSラジオの生番組に出演した。
外山恵理さんの午後10時からな番組だが、判決翌日と言うことで、映画、ショウジとタカオの監督、井手洋子さんと3人で出演した。
何度も3人で放送に出ているし、慣れてもいるから、別に問題はなかった。何時もと同じに、もう少し話したかったなぁ!と思って終わりだった。
驚いたのは、放送中に届く視聴者からのフアックスやメールでリアルタイムで反応が判ることだ。俺の高校での講演を聞いた現役高校生の「そこで聴いた歌を、もう1度唄って」が、凄く嬉しかった。俺は唄いたかったが、2人だからなぁ。
人生は楽しい、生きていることは楽しい、俺の人生観は、それに尽きる。悩んでもいい、苦しんでもいい、辛くてもいい、その思いに直面することは痛みだが、痛みを乗り越えれば、乗り越えた自分に自信が生まれ、苦痛そのものも喜びに変わるのだ。幸せや喜びは、それだけのこと、苦痛が喜びや幸せに変わることを体験すれば、苦痛を体験することが自分を変える貴重なものだと判るのだが、そんな思いも語りたかったが、時間が短かった。
しかし、拘置所や刑務所で愛聴した大沢ユウリのゆうゆうワイド、あの番組のTBSに来たと思ったらば、凄く嬉しかった。
生きているのは楽しいねぇ。あの拘置所や刑務所の日々、まさか将来、聴いている放送局に出演するとは思わなかった。
今、苦しんでいるから仲間、人、絶望しないで欲しい。目の前にあることに全力で立ち向かい、その中にあることを楽しんで欲しい。アナタの一途な生き方は、アナタの一心な時間は、必ずアナタに生きていて良かったと思える刻を与えてくれますから!
そんなことを思い確認した生番組だった。

検察庁

2011-05-26 | Weblog
この組織は、もはや解体するしかない。解体して、純粋に裁判を推進する組織にするしか、正義や真実を守る組織にはなり得ないと、布川事件に対する対応でハッキリしたと思う。
今日の新聞にあるコメント、何も反省してない。まだ有罪と思っているとか、布川事件の結果は、何も影響しないとか、実に不実な言動をしている。
裁判で誤りを指摘されても「犯人だ」と言う!裁判所を認めていないと同じことだが、何でこんな傲慢かと言えば、自分たちが1番と思っているからだ。
法務省の課長以上の78パーセントを検察官が独占し、法務省は検察の下部組織にしている。判検交流と言う手段を得て、裁判官になる検察官が増え、裁判所も犯し始めた。法務省の認めない裁判所人事は、なかなか認めないという不思議な伝統があり、更に、検察庁のナンバー2が最高裁判所に入り、最高裁判所にも支配の手先を入れている。
こんなに力を行使する組織に、誰がしたのだ!
検察庁は、行政の法務省に関与してはいけない。
検察庁は裁判官になってはいけない。
検察庁は、裁判だけに集中する組織でなけれはいけない!
今日、布川弁護団の控訴断念要請に対して、検察官は「会わない」と言う無礼な態度だったらしい。裁判所と癒着したアンフェアーもあったらしく、この組織を裁判専念組織にするしか、今の裁判の不正を是正する道はないと感じた1日であった。

墓参り

2011-05-26 | Weblog
今日は、東京と水戸で検察庁に控訴断念の要請に行った。
俺は、どちらにも不参加だった。検察庁は常識の言葉や思いが通じない組織だ。唯我独尊、自分たちだけが正しいと思い固まった組織で、狂っていると思っている。この組織を正常に戻すためには、社会の力しかないと思っているので、常識の要請には参加しないと決めた。
それで今日は、まず両親の墓参りを第一にした。
自宅に帰り、位牌に手を合わせ勝利を報告、そして墓に行って報告した。
涙がでるかな、と思ったが、涙は出なくて、とても安らかな気持ちで思いを伝えたのは、俺自身の心が安らかだったせいだろう。
親戚、同級生、支援者、保護司など、お世話なった皆さんにもご挨拶したが、訪ねる度に勝利の安らぎを深めるようだった。