桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

冤罪の集い

2011-05-28 | Weblog
昨夜は、明治大学リバティタワー教室で、冤罪を考える集いがあった。200に近い人が参加してくれた。
菅家利和さん、江川紹子さん、ジャーナリストの青木理さん、それに我々と山本弁護士など、多彩な顔ぶれだった。
本来は、映画の宣伝を兼ねた企画だったが、広がり過ぎてしまったようだが、参加された皆さんは、しっかりと聞いてくださっていた。連れ合いからのメールだと、「もっと聞きたかったね」と話をながら帰る若者がいたらしく、確実に思いは伝わっていたと知って嬉しかった。
これからも話をする機会は増えるだろうが、布川事件と司法の問題を、より的確伝えられるように努めなければならない。

書き込み

2011-05-28 | Weblog
今までチェックしないで来てしまったが、無罪判決に対して13件もの書き込みがあった。
昨夜は、明日の大阪行きのために都内に宿泊したが、判決以来、初めて午前4時過ぎという早い時間に目覚めてしまった。それでブログをチェックして気付いた。
書き込みをしてくださった皆さん、有り難うございます!
無罪判決!長い月日の念願でしたが、実現した喜びは安らぎとなって身体の奥深くから沸き上がり続けています。こんな安らぎ、忘れていました!
俺の喜びに思いを重ねて喜んでくださった方は、きっと全国に一杯おられたのだろうと思いますと、また違った喜びを感じています。皆さん、本当に有り難うございました。
当たり前の無罪判決ですが、当たり前を実現して、「俺にはやるべきことがある!」と思っています。
無罪判決を書いた、神田・吉田・信夫裁判官の判断は、納得出来ません。
杉山でない人を見た証人を「信用出来ない」と言いました。検察官は「嘘付きで目立ちたがり」と誹謗し、裁判官は「信用出来ない」と応じて検察官に同調しました。
皆さんは、なぜこんな判断をしたかお判りでしょうか。
もし彼女の証言が正しいとなれば、検察は正しい証言を隠したとなります。検察の証拠隠しを判決に書かなければならなくなります。だから、検察に弱い裁判所は書けなかったのでしょう。
これだけではありません。布川事件が再審開始になったのは、誰が見ても検察が隠していた証拠を出したからだと判りますが、その提供された証拠に付いて、全く神田コートは証拠として認めませんでした。
俺のアリバイ証拠、目撃者と称された人たちの調書、警察の証拠改ざん行為を示す沢山の調書類、どれもこれも無視しました!
なぜか?
これも同じ理由でしょう、認めれば検察の証拠隠しを指摘ぜざるを得ない、検察を悪くは書けない。
そして、以前の有罪判決は、新しい証拠を新証拠として使わなくても間違っていた、として無罪を言いました。
皆さんはお聞きになってませんが、神田裁判長は、最後に「形式として14日以内に控訴できることを告げておきます」と言い、いきなり「これで閉廷しまし」と終わったのです。
これっておかしいと思いませんか?
証拠を認めるか、認めないかは裁判官の自由、まあ仕方ないかも知れない。検察に弱腰か、法務官僚、つまりは検察に睨まれると出世出来ない裁判官としての弱さか、俺も勝手に俺自身の自由心証で批判するだけのことですが、でも、古い証拠だけ見ても昔の有罪判決が間違っていたと言うのならば、間違って有罪にした裁判所として、俺たちに、何か一言があって当然ではないでしょうか。ごめんなさい!くらいは人の道ではないのでしょうか。43年も無実の罪を背負わせた呵責はないのでしょうか。
改めて思ったのですが、検察の傲慢を増長させるのは、こういう裁判所です。
俺は、検察の証拠隠しを追及して国賠をします。必ず、証拠を隠した検察の罪を社会に認めて貰い、二度と証拠隠しが出来ないようにするつもりですが、裁判所をも追及する気持ちになっています。自由心証主義を隠れ蓑にして、証拠を歪めて有罪にする裁判官が多すぎます。
神田判決は、俺の自白テープにある改ざん痕に付いて「警察の悪意とは認められない、録音機の故障だとも考えられる」などとも言ったのです。故障!?
呆れるばかりです。
何をしても無責任でいられる検察、そして裁判!
その無責任ゆえに、こんな馬鹿げた判決文を書くのです。
こんな裁判所が許されるのか、検察追及とともに、俺のなすべきことが加わったようです。
今から43年前、俺は取手警察の留置場で「俺の全能力を使って無実を明らかにする」と書きました。今、改めて書きます、警察と検察、そして裁判の無責任を許さない社会を作るために、俺の全能力を使って頑張ります!
皆さん、今後も俺の闘いを見守ってください!
有り難うございました。