桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

マサトの手紙

2010-11-20 | Weblog
以前、学校で「誰かに手紙を書いて出しましょう」という授業があって、そのときにもマサトは、俺に手紙をくれたが、今回も、何かあったのか、昨日、帰宅したらばマサトの葉書が届いていた。
マサトは、純な精神と感性を持っている子供らしい子供だが、もう大人のような部分も持っている不思議な子供だ。独特の感性もあって、だからこそ、俺の作った歌(かぁちゃん)を聞いては、聞くたびに泣いて「ショウジが可哀相だから、ボクがショウジのお母さんになる」と5才のときに言ったのだろうが、どんな大人になるか、楽しみだ。
届いていた葉書には、茨城中学の模擬試験を受けたが、260名で59番目だったとあった。塾に行くわけではなく、母親エリコの創る宿題をこなしているだけみたいだが、弟のユウトとともに将来は、弁護士になって俺を助けると思ってるらしいマサト。本当に将来が楽しみだが、集中した文字を見て、俺もマサトの思いに相応しくあらねばと思わされた葉書だった。

暴力装置

2010-11-20 | Weblog
政治家は言葉が命だ。自らの哲学を言葉にして、日本という国家を動かすのが政治家だと思うのだが、民主党政権の大臣たちは言葉が軽い。これは哲学を持たず、ただ政治権力と政治利権だけを志向する人が多いせいではないかと思う。

柳田法務大臣、無惨だね。大臣就任を要請されて、なぜ法務を知らない俺が?と戸惑ったと言う。まあ知らないからダメと言うことはないし、それは構わないが、言葉こそが政治家であることを思うと、2つのフレーズさえ言えば勤まるの言葉はイカンよね。
大臣云々よりも政治家失格。即刻、辞任。政治家を辞めた方が良い。
仙石さんもダメだね。自衛隊は暴力装置だと言ったのは良いが、自民党に追及されてアッサリと陳謝、撤回だ。学生時代に新左翼活動をした仙石さんならばこその発言で、もう少し骨のある言葉を聞かせてくれるかと思ったが、丸川珠代あたりの追及に頭を下げてしまってはアウトだね。
自衛隊が暴力装置であることは自明だ。人を殺す集団と言っては過激だが、人を殺す武力を持った集団が暴力装置以外の何者だと言うのだ。だからこそ、強力なシビリアンコントロールが必要だし、政治家がしっかりしなければならないのだ。
ソ連や中国、北朝鮮などを見れば、我が国土を守る自衛隊は必要だとなるのだろうし、国家、国土を守る愛国の意思を語られれば抵抗出来なくなるのかも知れないが、そこでこそ政治家の哲学と言葉が問われるのだろう。
人を殺す武力を持った集団は暴力装置だ、存在しないのが理想社会だし、理想社会を創るために政治家かある!と言えない仙石さん、やはり政治家は無理かもねぇ。

郡上八幡追加

2010-11-19 | Weblog

城の駐車場に来たとき、上空を舞うトンビを見つけた。何羽も見たが、結局、写真に撮れたのは駐車場での一枚だけだった。
少し紅葉は過ぎた感じだったが、残る紅を見つけて写真を撮ったらば、その上空にトンビだった。

関市

2010-11-19 | Weblog




関市と言えば、関の孫六。刀剣で有名な街だ。
俺の城好き、刀好きを知ってくれているYさんは、今日は関市も案内地に選んでくれていた。
会館に着くと、そこには「宣言」という小さな立て札があり、関市の東を関東と呼び、西を関西と呼ぶことを宣言する旨が書かれていた。Yさんと二人、関東、関西の分岐で関市か!と感心したが、Yさんが曰く。宣言だから勝手に言っただけで根拠はないかも知れない。騙されるところだった。
刀剣は歴史的な物が、何振りもあり、柄部分を外した鉄の錆具合が時間と歴史を示しているのが判った。
郡上八幡、美濃、関、1日楽しい時間を過ごしたが、改めて人様の支えと思いに恵まれたことに感謝する1日でもあった。

美濃市

2010-11-19 | Weblog

うだつの上がる街てして有名らしいが、俺は知らなかった。
Yさんの案内で関市に行く途中に寄ったが、時間の関係で車での通過だった。
古い街並みは、少し歩きたい気分だった。

宗祇水

2010-11-19 | Weblog

市内には綺麗な水の流れる水路が幾つかあった。
旧八幡町役場近くにある水路は、今も洗い場に使用されていて、昔と同じに共同組合によって運用されているらしいが、水路にいる鯉は神の使いだから取ったり、虐待したらば打首、獄門だと、昔の代官の名前での立て札もあった。
郡上八幡の水路には、宗祇水という有名な湧水がある。訪ねたらば、丁度、名古屋市内から「遠足だ」と来ている女生徒3名がいた。俺のブログに出すから!と言ったらば、こんなポーズをしてくれた。

城下町2

2010-11-19 | Weblog



小さな街なので散策は簡単。夏には子供たちが川にダイビングする橋の脇には、旧八幡町役場庁舎が残り、物産展場所になっていた。これも木造。柔らかくて優しくて木の建物は和らぐね。
その周辺からの写真。城は遠いので、初めに撮れた紅葉に包まれ、余り写らなかった。紅葉に包まれた城は炎上しているようで美しかったが、その美しさが出ているかな?

城下町

2010-11-19 | Weblog

郡上八幡は郡上一揆の歴史でも有名だ。数年前、それが映画化され、知っている人も深く関わっているが、その関係者の親しい人でもあったYさん。市内を案内してくれた。
まず、腹拵えで入った店が伝統を感じる飛騨牛を食べさせてくれる店。もちろん、食べたのは飛騨牛だが、旨かった!美味かった!非常にうまかった!
一揆の歴史を示し傘連判状。

郡上八幡城内

2010-11-19 | Weblog





再建城としては珍しい木造で、人が歩くとギシギシと音がする。
天守閣には城の歴史が展示されていた。
見下ろす市内も鮮やかに見渡せた。
写真の紋章は山内家の印。階段の上にあった。

郡上八幡

2010-11-19 | Weblog



愛知の友人、Yさんの車で案内され、郡上八幡から美濃、関市を回って来た。
今日は快晴。雲一つない青空で、絶好の行楽日和りだった。
初めての郡上八幡市、小さな盆地で、その小高い山に城があった。
車で上まで行けたが、これが狭い道で大変。切り返さなければカーブの切れないところもあってスリリングだった。
山内一豊の妻、千代の生まれた歴史を持った城で、再建城たが、木造なのが良かった。
城での写真。