桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

足利から

2009-05-17 | Weblog
案じられた雨も影響せずに、無事に足利事件の現地調査が終わった。二日間を過ごして、それにしてもという言葉を使い、書きたいことが幾つも生まれた。
余りにもお粗末な捜査、取り調べは警察の伝統的な年中行事だが、菅家さんを犯人に仕立てた経過は、冷静に見れば無実と判るだろうにと思わずにいられない。殺害方法、死体遺棄の経過、犯行後の事実関係、総てに道理を越えた不自然と不合理が存在する。
最後の弁護団声明で、誤ったDNA鑑定に目を眩まされた警察という部分があったが、俺は、これは違っているように思う。警察は誤ったDNA鑑定を作り上げたのではないか。あの連中の常套手段だ。菅家さんを犯人にするべく、それらしく見える部分を拡大解釈したのだろう。前例としての冤罪ば、いくらでもある。調査中、菅家さんが自白しても無実と判った殺害現場を尋ねたとき、地元の人に会い、話をしたらば、「足利じゃ人殺しがあっても犯人は捕まらないんだよ」と笑って言う。幼女殺しだけが解決市内のではないらしい。警察は、本当に腐った組織たし、なぜこんなままに存在し得るのか、それにしてもおかし過ぎる。
それにしても検察庁は、と書こうかと思ったが、もういい。馬鹿につける薬は無いと言うが、検察庁につける薬も無い。不正義の極みを裁判所で行う検察庁は、政治を変えて、この行いをした人たち、組織を犯罪者として裁ける社会にするしかない。
でも裁判官には言いたい。それにしてもアナタたちは恥ずかしくないかと。
足利事件弁護団は、既に12年前からDNA再鑑定を主張していた。もしあのときに実施していたならば、そこで菅家さんは無実と判ったはずだが、ひいては真犯人を追及することも出来たことになる。しかし、最早時効となり、その手段を失ってしまったのだから、裁判官の罪は重くて深いと言わざるを得ない。
この足利事件で東京高裁が有罪を言い渡したとき、有罪に抗議して退廷した傍聴者があり、それに対した裁判長は「 捨て台詞は良くありませんね」 と冷静に注意したらしい。更に言い渡し後、菅家さんが無実ですと言葉を発したらば、その冷静沈着に無実の人間を有罪にする裁判官は「残念ながら無実とは認められません」と言ったのだとも本にある。
それにしても裁判官とは、いったい何なのだろう。今回の現地調査中、俺は、それを考え続けていた。司法試験に合格することが裁判で真偽を見抜く力を得ることにはならない。裁判官に任官することも同じで、その名前によって判断力を得る訳でもない。裁判所の不正な証拠や書証に対する無批判な認定こそ、冤罪を生む力になっていることを知って欲しい、判って欲しいと願わずにいられない。
それにしてもDNA再鑑定を拒否して再審請求を棄却した池本寿美子裁判官は今、何を考えているのか。俺の、それにしてもの最後の思いは、そこに行き着く。

勝利への歩み

2009-05-17 | Weblog
今日の日経新聞には、足利事件の無実を言い、菅家さんを釈放しろとの記事があった。
昨日の夜間現地調査は、菅家さんの自白に基づいた行動を確認したが、マンガ!あれで犯人とした裁判官は人を裁く資格は無い。あんな暗闇で、どうして菅家さんの自白のようにできるか。する必要か不自然だし、やれない。
検察庁は捜査員と再鑑定すると言えば、警察は自白があるから大丈夫だと言ってるらしいから、本当に救いがたい。
会場に溢れる人にマスコミ。勝利に向かう流れは止めようは無いと感じた。

織姫神社

2009-05-17 | Weblog
足利市は機織りの街だったから、それに纏わる歴史遺物が遺されているが、市の北西部の小山に織姫神社がある。
それが市の歴史にそったものであろうと思っていたが、今日まで神社に入ってみようとは思わなかった。足利学校や鑁阿寺などの名所古跡ばかりを訪ねていたが、今日は、今まで行ったことの無い所へと思って階段を上った。
社は昭和12年に建立したらしいコンクリート製。名前はいいが、余り有難みは無かった。