テレビに出る人は、そこのルールに縛られる。縛りを拒否したり、ルールを無視すれば出演は出来なくなり、違った世界で生きなければならない。
昔は芸者と言えば芸を売り、呼ばれた席を取り持つためには、何でもするしかないということで哀れな立場と蔑まれ、芸者という言葉自体が差別用語になってしまっている。
今、テレビに出る人は華やかで羨まれているが、俺からすると昔の芸者と同じように見えて仕方ない。
先日、草薙剛さんの泥酔騒ぎ、ばか騒ぎとしか言い様がなかったよね。
それに較べれば秘かなことだったが、北野誠さんが舌禍で謹慎という話は、一体何だったのだろね。
記者会見で涙で詫びていたけれども、なにを言って、なぜ謹慎なのか、全く判らなかったが、感じられたものはある。
俺は創価学会が嫌い。自分たちだけが総て、他の宗教は排他するだけなんて宗教の本質であるべき寛容と許容が無い、唯我独尊は宗教たり得ないと思うからだ。更に、宗教の無税を利用した膨大な金を使った政治関与。唯我独尊で同化しない者を排斥するのは昔の天皇独裁国家と同じ公明国家を造ることになるのだと思うと、絶対に政治関与を許してはならないと思うからだ。
しかし、現実の社会では創価学会の根が深く食い込んでいる。特に根深いのがマスコミ、テレビ界での支配だろう。公然と公明党支持を語り、選挙ごとに街灯で声を上げるタレント、歌手など、沢山存在する。
北野誠さんの舌禍は、そのタブーに触れたせい?
前にも学会タレントで有名な山本リンダに何かを言ったらしいが、もしそうだとしたらば怖いねえ、批判をしたらば、すぐに攻撃され、干され、生活を侵される。
俺のブログも、実は創価学会、公明党批判は止めるように忠告が入った。
名誉毀損訴訟など、なにをされるか判らないので、再審中の立場を大事にして欲しいという好意からの注意だったが、事実を書いても訴訟されると考えてしまう組織って、やはり怖いよね。フランスなどではカルト集団とされ、宗教とは認知されない創価学会。事実だよね。
なぜ認知されないのかな?俺は国家の芸者としては生きたくない。嫌いな政治に媚びて生きたくないから、嫌なものは嫌と言い続けたいと思ってる。勿論、自民党、民主党、社民党、共産党だって同じだ。人間十色を同色にしようと言う連中には異議を突き付けて行く。