桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

おかしい

2022-07-26 | Weblog
昨日の粥は美味かったなぁ。でも、段々と食物が不味くなり、今日の昼に食べた冷凍バナナなど、そのネットリした感覚と甘さを持て余した。
とうとう夜は食べたくなくなってしまった。野菜炒めを食べたくて作って貰ったのに、パサパサした感覚で美味くない。
どうしちゃったんだろね。
連れ合いがコロナを案じたけど、別に熱はない。尻の痛みが消えたのだけは嬉しいけど、明日は食べられるかなぁ。

死刑は許されない

2022-07-26 | Weblog
秋葉原無差別殺人事件こ犯人の死刑が執行された。
如何に重大犯罪者であってても命も大事。変わりはない。
その大切な命を無差別に奪い、多くの人の人生を絶ち切った彼の行為は許されない。絶対に許されない。しかし、いかに許されない罪を犯した人であっても、国家は人の命を奪ってはならないのだ。死刑は許されないのだ。
国家は人によって形成され、支えられる。もし人が居なれば国家は存在し得ない。国家が人を殺すということは自己の存在を否定することでもあると、俺は思っている。
無惨に殺害された人の悲しみ、苦しみ、悔しさ、痛みは想像を絶する。突然に愛する人を奪われた人の苦悩も同じだ。癒やすことなど出来ない。
だから、殺された人の傷みを抱える国民に対して、国家は癒やすシステムを作って対応すべきなのだ。日本は、ここでも自助しかない。
癒やされない人が「犯人を殺せ、許すな」と叫ぶのは当然だ。その声を隠れ蓑にした日本国家は民の声だとして死刑を存在させているが、それは個々の命の尊さを認めていない証であるのに国民の多くは正義の証でもあるかのように考えている。錯覚している。
日本に産まれ、日本に生きて、日本に暮らしている国民の人権と命を尊び、1人ひとりの人生を護り、総ての人々が幸せに生きられる国家とは、例え犯罪者の命であっても護るとする国家でなければならないと、俺は確信している。
国民の多くは秋葉原無差別殺人事件では、犯罪者を誹り、被害者に同情し、他人の不幸は蜜の味として事件を飲んでは忘れ去る。
そして、その不幸が自らに降り掛かって、初めて理不尽を知るのだ。
人による殺人が許されないように国家による殺人である死刑も許されない。
これを許し続ける限り、日本は人の人生と命が大切にされる国家にはなれないだろう。

電通だもの

2022-07-26 | Weblog
オリンピック理事をした高橋治之とか言う人がアオキから金を受け取っていたことで、やっと捜査の手が入った良うだ。
この男、電通の専務だったらしいね。
日本の、あるゆる世界に手を広げて宣伝を金に変える電通。安倍晋三の遺体を載せた車を見送る人たちも電通が金で集めて送り込んだとか、まことしやかに語られるほど、あらゆることに手を出して金にする会社だ。
そこで専務をした男だもの、オリンピック理事になって、その立場を利用しないはずはないよね。
スポーツビジネスのドンと言われていたらしいが、なんで、こんな奴らばかりがのさばる日本になってしまったのかなぁ。金のためならば手段を選ばない。
今、安倍晋三殺害でクローズアップされている統一教会も金。
そこを利用する政治家も金と権力。
昨夜、柔道家の野村忠宏さんのファミリーヒストリーを見たが、日本人たる清廉精神を矜持として生きて来た野村忠宏さんの家族に、これこそ日本人だと心清められる思いになった。これこそ日本人のあるべき姿だと思わされだが、今の政治や社会に、どれだけ清廉さがあり、尊ばれているだろうか。
霊感商法などの宗教に踊らされる政治家を無批判に無邪気に選ぶ愚民たち。
正義や真実に立脚すべき司法の警察や検察が歪み、平然と事実を曲げる存在になっていることに、俺は日本の今があると思っている。
こんな時代だからこそ、清廉に生きたいよね。日本に社会に清廉を取り戻そうと声を上げたいよな。