黒川問題始めの検察法務に対する批判に対して、その矛先を交わす常套手段が始まるらしい。
ナンタラ会議って、そんなの意味がないよ。
これまでも検察は社会の批判を受けるたびに内部でアレコレをしては「はい、検察は変わります❗️大丈夫です」とやって来た。
いい例が郵政不正事件で前田さんが証拠改ざんをした件で発表した「検察の理念」だ。
今でも検察庁に行くと人の出入りする場所に行くと麗々しく掲げられているが、あんな空念仏も珍しい。
間違ったら引き返す勇気だとか、有罪だけを求めないとか、アレコレを書いているが、やっていることは反対のことばかりだ。
一度有罪だとして起訴したならば、どんなことでもして有罪判決を求める検察であることに変わりはない。
再審裁判で無実が明らかになっても、何も反省しないし、変わろともしない。
今回の会議とやらも、ただ社会批判を逃れるだけのアリバイ造りだろう。
大体、どこかの辞めた検事長辺りが会議に入って、何が出来るというのだ。過去の正当化が関の山だろう。
もし本気で刷新したいならば検察の悪事を体験した冤罪体験者を入れるのが当然だよ。
腐れ検察で甘い汁を吸った連中と、そのお零れで生きている連中が集まり、如何に社会批判を交わすかを議論するのだろうが、今度は、どんなボロ隠しの口先三寸が出て来るとのか、まあ楽しみにしてましょう。
ナンタラ会議って、そんなの意味がないよ。
これまでも検察は社会の批判を受けるたびに内部でアレコレをしては「はい、検察は変わります❗️大丈夫です」とやって来た。
いい例が郵政不正事件で前田さんが証拠改ざんをした件で発表した「検察の理念」だ。
今でも検察庁に行くと人の出入りする場所に行くと麗々しく掲げられているが、あんな空念仏も珍しい。
間違ったら引き返す勇気だとか、有罪だけを求めないとか、アレコレを書いているが、やっていることは反対のことばかりだ。
一度有罪だとして起訴したならば、どんなことでもして有罪判決を求める検察であることに変わりはない。
再審裁判で無実が明らかになっても、何も反省しないし、変わろともしない。
今回の会議とやらも、ただ社会批判を逃れるだけのアリバイ造りだろう。
大体、どこかの辞めた検事長辺りが会議に入って、何が出来るというのだ。過去の正当化が関の山だろう。
もし本気で刷新したいならば検察の悪事を体験した冤罪体験者を入れるのが当然だよ。
腐れ検察で甘い汁を吸った連中と、そのお零れで生きている連中が集まり、如何に社会批判を交わすかを議論するのだろうが、今度は、どんなボロ隠しの口先三寸が出て来るとのか、まあ楽しみにしてましょう。