俺は将棋も好きで土浦拘置所に入れられたころから、少しずつ将棋関連の本を読むようになった。
俺と杉山が否認をしたのは拘置所で顔を会わせてだとか、受刑者を介してだとか、あらぬ言い掛かりを付けた検察は、俺を受刑者だけを収容する舎房に隔離した。
事件の夜は兄の部屋に一緒にいた俺と杉山の話が一致するのは当然だが、俺たちを犯人だと思い込んでる警察の検察は、そうは思わない。話し合った、示し合わせた❗️
それでの隔離だったが、受刑者たちは昼間は被告人たちの世話などの作業でいない。めったに職員も見回りには来ない、で舎房に独りだけは、結構、気楽だった。
受刑者は、被告人たちの夕飯が終わると、もう5時半ころには帰って来るが、その後、各部屋の間で将棋が始まる。7六歩、8四歩などと声で駒の動きを伝えては、自分の部屋にある将棋盤の駒を動かしていたみたいだった
。
それで興味を惹かれ、裁判や面会がないと、ひたすら部屋にいるだけの時間潰しに将棋の本を読み始めたのだ。
あの当時は大山名人の全盛時代だった。
升田、塚田、花山など、個性豊かな棋士がいて、ときどき大山に勝ってタイトルを取るが、すぐに奪還されてしまう。
神武以来の天才だとか称された加藤一二三や二上達也、山田道美などの俊英が現れては大山に挑んだが、その厚い壁は突破出来なかった。
そこに現れたのが我々世代の中原誠だった。癌を乗り越え、60歳でも最高クラスのAクラスで名人位を争う位置にいた大山の地位を奪い、やがてタイトルを独占して中原時代を築いた。
中原時代は続いたが、やがて関西の俊英谷川が現れて中原時代を終わらせた。が、谷川時代と呼べるほどに長く地位は保てなかった。
チャイルドブランドと呼ばれ、10代から頭角を現した羽生善治の出現だ。
中学生から棋士となった羽生は、アッという間に谷川の牙城に迫り、やがて7冠を独占して羽生善治時代を築くことになる。
チャイルドブランド同士だった森内、佐藤に名人位を奪われたりはしたが、40歳を過ぎて力に陰りが見え始めた今、将棋界は渡辺、永瀬、豊島、佐藤天彦などかタイトルを別け合う群雄割拠時代にあるが、そこに現れたのか藤井聡太だ。
昨日、藤井聡太は若年タイトル挑戦記録を達成して棋聖戦に挑むことになった。
江戸時代の相続名人位から戦いの名人位となり、関根、大山、中原
、羽生と築かれた時代は、今度は藤井聡太の名前で引き継がれるのだろう。
コロナでテレビが面白くなくなり、将棋番組を見るようになったが
、千葉刑務所で2年連続準優勝したころの棋力で、まあ弱い初段程度だったろう棋力に、もう1度、辿り付けるかな❓️