桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

誤算

2011-04-27 | Weblog
今日の夕刊紙に、そんな言葉があった。巨人、誤算!俺は思ったね、誤算は生まれるのか!生むのか!と。長嶋茂雄は、本当に凄い選手だった。日本プロ野球の中興の祖。彼がいなければ、今の野球界はなかったろう。守って打って、更に走って!それだけではない。野球だけに打ち込む生き方は、数々の長島神話を生み、社会を熱狂させた。
しかし、監督としては、どっちかと言えば無能だった。他球団の選手や外人ばかりを取り、若手を育てる能力に欠けていた。
原監督は、かなり若手を育ててはいるが、まだまだ甘い。
今年の外人投手、なんなの、アレ?
いくら金があるとは言え、採れば良いってモノではない。
12球団が、それぞれに優勝したいと思ってシーズンに臨むわけだが、万全な体制などはあり得ない。その不安を、いかに埋め、何よりもチームの選手一同が、やるぞ!ど一致団結する思いを作るのが監督だ。
ただただ不安を埋めるために金で選手を集める。こんなやり方は、絶対にやるぞ!の団結と意識は生まない。
原は、なかなかの監督だが、そこが判ってない。シーズンが始まり、各球団の戦いに誤算も生まれているが、その誤算を傷深くするか、新しい力を生む切っ掛けにするかは、総てが監督の力量なのだ。
長嶋茂雄が無能監督であったように、果たして原辰徳が同じ道を辿るか、今年に係っていると言えるだろう。

百才

2011-04-27 | Weblog
今日は告別式に行った。
親しくして頂いている支援者のお母さんが亡くなられたのだが、もうすぐ101才になるはずだったらしい。
あれは何年前だったか、毎年正月2日にはお邪魔して、楽しく新年会をするのだが、お母さんも酒の席に顔を出して、「お前の唄は初めて聴いた。なかなか上手い」と、ご自分の息子の歌を評したことがあった。あのころでも90は超えていたが、かくしゃくとして、意識に年齢を感じなかった。
人が亡くなるのは、例え幾つでも哀しい。百を超えれば大往生とは言え、家族には思い出もあり、悲しみは残るだろうが、百ゆえか暗さが無かったのは救いだった。
願わくば、遺る者が笑っていられるように逝きたいと思う告別式だった。