桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

仲間

2011-04-10 | Weblog

昨日、今日と一緒に活動したのは東京から来た小泉さんと植竹さん親子。
俺を撮影するテレビカメラがあることから、変なオヤジだと思ったろうが、話をする中で来月の判決のことまでは言ったが、それ以上は話さなかった。この地では俺の自慢にならない過去のことなど、話す持ちになれなかったせいだが、俺のブログを教えたので、すぐに正体はバレルだろう。
昨日までは、全くの知らない者同士だったが、同じ活動をする同士と思うせいか、今日の別れでは、凄く親しい人たちと別れるように感じた。
俺は、初めてのボランティアだったが、人様の苦難に活動する人は、俺の苦難を救ってくださった皆さんのように、全くの無条件で信じられる人と感じて、本当に良い体験をした。
まだ残っていたいような思いにさせてくれた、植竹さん親子、小泉さん、有り難う!
そんな俺でした!
またどこかでお会いしましょう!

差し入れ

2011-04-10 | Weblog
今朝、山形の友人、大河内さんから電話があった、石巻市へ来ると。
正義感は人一倍の人、今日はボランティアに来るのかと思って気楽に考えていた。昼ころ、俺のいる中学校に着いたと来てくれたのだが、聞けば、わざわざ俺に差し入れをするために、奥さんと一緒に山形県を午前6時に発って来てくれたと言う。
ビックリだった!有り難いねえ、嬉しいねぇ!
皮手袋、ゴミ袋、マスクなで。そしてガソリン代のカンパ1万円だと置いて帰った。涙が出る思いだった。俺は幸せ者だ。

避難所

2011-04-10 | Weblog


石巻市内の被災者は、初めは高台にある高校、中学校に避難していたが、自宅に戻れる人は戻り、今、いる方は、大部分が自宅を流された方ばかりらしい。
体育館に座り、肩を寄せ合う家族。若い男性の虚ろな眼差しが痛かった。その傍を走り行く子供たち。
何とか頑張って欲しいと祈らずにいられない。
街には、車を押し潰して崩れた家もあるが、型が残っているのがマシと言える被害の惨状だ。
作業終了後、日和山に登り、市街地を見下ろして絶句した。
港や浜から川筋を襲った津波の被害が一望できた。漁船が陸に上がり、軒並み波に攫われて更地になってしまっている場所もあり、恐ろしい風景だった。
その市街地の中に、被害の家を整理している人もあり、少しは救われる。
もしこの石巻市を再建するならば、必ず高台に通じる避難道を造り、その上で家々を再興させて欲しいと思う。今日は、菅さんが石巻市を訪問したそうだが、国の対策を急いで欲しいねぇ。

救援物資

2011-04-10 | Weblog
全国から届く物資は、本当に山ほど!
それに触れるのは、人様の善意に触れる思いで嬉しかったが、残念ながら好意ばかりではない。明らかに余分な荷物を整理するごとくに感じてしまう物もあった。
これは好意かも知れないが、使われた下着を送られても、なかなか厳しい。使う気持ちにはなりにくい。女性用の中に、写真のような男物があった。
一緒に作業をした、若き女性に持ってもらっての撮影だが、ゴムは伸び、おまけに擦り切れている。
こんなのを見ると哀しいよね。

門脇中学校

2011-04-10 | Weblog
今日は石巻高校で移動する人の手伝いをする予定だったが、何か問題が発生したらしくて、急きょ、石巻中学校に隣接する門脇中学校での作業になった。
どんな理由かは判らないが、石巻中学校の隣にフェンスを挟んで5メートルくらい下がった場所に門脇中学校がある。敷地的には石巻中学校の6割くらいだろうか。
そこに届いている救援物資を整理する作業だったが、まずは体育館に運び込まれ物を教室に移し、そこで女性物を、冬物、春物、子供物などに分けた。
山ほどにあるの言葉通りに、本当に沢山あり、4名でやったが、取り敢えずは片付いたという程度にはなった。
日本テレビの取材で来ている人も撮影しながら手助けをしてくれ、大変に助かった。今日の作業は5名となるだろう。

どこにも!

2011-04-10 | Weblog
避難所だけではなくて、人が集まる場所、集まっていた場所には、貼り紙がある。人の安否を問う文字が書かれ、沢山の名前が書かれ、不安や悲しみの籠められた人々の思いを見るたび、映像で見た津波を思い出す。あの中に、どんなに多くの人の命が奪われ、暮らしが奪われて行ったのかを知る貼り紙。
昨日の避難所、閉じたままのコンビニ、何枚もの紙に書かれた名前の人が無事であれと思うが、とても、その貼り紙を写真に撮る気持ちにはなれなかった。

さすがに東北

2011-04-10 | Weblog
昨夜は、妙に身体が熱く、しかも頭が冴えた感じで眠れなかった。日付が変わり、やっと寝たが、今度は気温の低下がハッキリと感じて目覚めてしまった。
さすがに東北地方だ。
氷点下にならないで、この寒さだから、雪が降っていた当時は、どんな避難された皆さんは辛かったろうと思う。
昨日も廊下の椅子に茫然と座る女性がいた。ボランティアの医師が回っていて、女性に問診をしていたが、殆んど言葉を出さないみたいだった。同行している歯科衛生士が「病気ですか?」と医師に聞いたらば「そうだけど見守るしかない」とボソッと答えた。
見ても判る喪失の虚無。頑張っての言葉も、この方には酷いのではないかと、見ているのも辛い気持ちだった。
まだ桜の蕾は固いが、何かが生きる気持ちを蘇えらせる切っ掛けになって欲しい!