桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

東京スカイツリー

2011-04-22 | Weblog
もう見慣れたスカイツリーだが、用事があって千代田線の千駄木駅へ行き、そこから上野まで歩いた不忍池でスカイツリーを見たらば、すっかり完成した感じになっていた。
手前に八重桜、弁天堂、上野のビル群の上にスカイツリー。一枚の絵のように感じた。

初体験

2011-04-22 | Weblog
初めて美容院へ行った。
今までは理髪店。美容院では、どうやるのか、とうなるのか、全く判らなかったが、カットは、理髪店よりもカットはアバウトな感じで、髪を切りました!という感じが嫌いだった俺には、これがピッタリ!と感じた。
でも、せっかく行ったならば、ただカットだけではなくて、他に美容院らしい何かをしてみようと思った。何をしょうかなぁ?

知らないこと

2011-04-22 | Weblog
人間は知らなければならないことがある。事があったときに、私は知らなかった!では済まない。
昨日、菅首相が福島を訪問した映像がニュースで流れていたが、原発事故を一日も早く終息させろと怒る市民に対して、返す言葉も虚ろな首相が気の毒に見えた。
今、日本国民だけではなくて、世界中の人々が「フクシマ」を見つめて、その無事な終息を願っている。でも、残念ながら終息は見えない。
日本の原発は安全神話に頼っていたのだ。今、想定外の自然災害だと言われているが、地震や津波は自然災害だとしても、福島原発の事故は自然災害ではない。人災だ。問題にされ、指摘された電源が遮断された際の対応に付いて、それはあり得ないとして退けて来たゆえの、この事故だからだ。
多くの国民は、この事実を知らないで来た。五重の壁とか言い、堅牢な容器に収められて安全だと言う、表面的な言葉を信じさせられて来たのだ。
これにはマスコミの責任もある。原発推進に纏わる金銭は莫大で、それは地域にばら撒かれて「原発は良い物」と思わせて来た訳だか、残念ながらマスコミにも推進派からの金は行き届いて、原発が生み出すリスクを正しく指摘する声は生まれなかった。
推進派が主張した五重のバリアも、それは燃料棒が自然に生み出す熱をコントロールする水があってこそ、成り立っ議論だ。冷やせなくたったとき、必ず燃料は暴走を始めるのだ。そして、一度、暴走を始めたらば、なかなかコントロール出来ないのが原発なのだ。
国民が首相に「早くやってください」と声を荒げても、もどかしい話だが、膨大な放射能が放たれ続ける福島原発では、早急な終息は望み得ない。
知らなかったでは済まない事態が、今、日本では熟まれている。それに気付くか気付かないかで、これからの日本の行く先も変わるだろうと思っている。