裁判所に提出する必要と言われて住民票を貰いに行った。窓口には子供のころから親しい家の娘がいて、少し話したが、検察の抵抗を案じていた。
DNA鑑定と言えば、社会の人はみな、足利事件を考えて「犯人を見つける、無罪を証明する」と思うようだ。そう単純じゃないのに。
当たり前の話だが、DNA鑑定をするには、その対象物の証拠品を慎重に取り扱い、厳重に保管しなければならない。触った人のDNAも鑑定では発見されるから、触れた人の全員を明確にして、そのDNAを調べて発見される数値から取り除かなければ、正しい鑑定は出来ない。
ところが布川事件では、俺たちのしか鑑定しないらしいのだ。証拠品として目の前に出され、机に置かれたのだから、その際、唾が飛んだかも知れないし、皮膚片が付着したかも知れない。だから絶対に付かないと証明されない限り、たとえDNAの俺の数値が現れても犯人の証明とはならない。もちろん、43年も過ぎた証明品だからDNAが出なかったとしても無実の証明とはならない。有罪の証明にも無罪の証明にもならない鑑定を、なぜやりたいと拘るのか。そこに検察の本心があるね。
DNA鑑定と言えば、社会の人はみな、足利事件を考えて「犯人を見つける、無罪を証明する」と思うようだ。そう単純じゃないのに。
当たり前の話だが、DNA鑑定をするには、その対象物の証拠品を慎重に取り扱い、厳重に保管しなければならない。触った人のDNAも鑑定では発見されるから、触れた人の全員を明確にして、そのDNAを調べて発見される数値から取り除かなければ、正しい鑑定は出来ない。
ところが布川事件では、俺たちのしか鑑定しないらしいのだ。証拠品として目の前に出され、机に置かれたのだから、その際、唾が飛んだかも知れないし、皮膚片が付着したかも知れない。だから絶対に付かないと証明されない限り、たとえDNAの俺の数値が現れても犯人の証明とはならない。もちろん、43年も過ぎた証明品だからDNAが出なかったとしても無実の証明とはならない。有罪の証明にも無罪の証明にもならない鑑定を、なぜやりたいと拘るのか。そこに検察の本心があるね。