桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

深沢武

2010-06-07 | Weblog
俺に嘘の自白をさせた早瀬四郎警部補の補佐としていた、まだ若い深沢巡査に会ったのは43年前になる。留置場の看守仮眠室の小さな座机を挟み、正面に座った早瀬が「いい加減に本当のことを話してみろ」「お前さんが犯人だってことは判ってる、見た人もあるからな」などど言うとき、俺の左側に座った深沢は、良く居眠りをしていた。ハッとしたように目を開いては「係長さんの言う通りだぞ!」なんて言ったっけ。そして、また居眠りしてたが、殺人事件の自白を求める場だから、あの光景を思い出すと笑える。
深沢は、俺の取り調べ補佐として1週間くらいした10月20日に「深沢は部長試験て水戸へ帰るから」と去って行った。その後、裁判で証人として出廷して、「何も聞かないのに桜井から進んで自白した」など、嘘八百を語って帰り、その後は会わなかった。
俺が仮釈放で社会に戻り、再審を求める生活をしながら、深沢はどこにいるかと考えていたが、あるとき新聞で消息を知った。深沢武は出世して県警本部生活安全課長として定年退官したとの記事だった。
その後、再審請求の過程で、当時の捜査官の消息を調査した俺は、早瀬四郎が下館に住んでいることや深沢武がひたちなか市に住んでいることなどを調べ上げた。
既に書いたことだが、弁護団の家族に早瀬家と付き合いのある人がいて、早瀬は寝たきりになっている消息が判り、真剣に見舞いに行きたいと思った。「早瀬さんに犯人にしてもらい、俺の人生は幸せでした。死ぬ前に真実を語りませんか?あの世で地獄が待ってますよ」と言いたかったが、弁護団に制止されて行けなかった。そうするうちに早瀬は、俺に嘘の自白をさせた日に当たる40年目の2007年10月15日に死んだ。因縁だよね。
深沢は、まだ若いからひたちなか市で生きている。当然、俺たちの再審が実現してマスコミは取材に行くが、何だか取材者に水をぶっかけたりしているそうだ。自分に自信があれば穏やかに対応出来ようが、まともに取材に応じないのは、嘘八百のデタラメを言った後ろめたさなんだろう。
因果応報だね。警察組織の一員として、深沢にすれば当たり前に偽証をしたのだろうが、悪いことして、何も無くて済むはずがない。俺は、早瀬さんはもちろん、深沢さんも恨んでなどいない。良く犯人にしてくれたと感謝したい気持ちさえあるが、証拠のでっち上げや偽証については怒ってる。正直に真実を話せばマスコミに水をかけることもしないで済むだろうに、これから深沢さんの苦しみの季節が始まるのかも知れない。気の毒だが、仕方ないねぇ。