台湾では日本統治時代の住宅・街並み、國民党が台湾へ移ってから下級軍人向けに作られた眷村が歴史を現在に伝える証人として保存されています。眷村は台北市内にもありましたが北部で特に多かったのが桃園縣、ヨメの従兄弟の家も桃園の眷村内にあり雑貨やお菓子を売るアジのある家屋でしたがもう20年ほど前に取壊されてしまいました。
ここ中壢は台北防衛の拠点として陸軍第6軍団指揮部が置かれており桃園縣の中でも眷村が集中していましたが、次々と消えていく眷村を残そうと地元政府が中心となりこの馬祖新村が整備されました。
最盛期には226戸の住宅が立ち並びましたが現在残されているのは5区画ほどです
あずまやを中心に四方に住宅が広がっています
定期的に催し物が開かれておりこの日はハンドメイドの小物などが売られていました
共産党軍との最前線馬祖に駐留する軍人の家族のため建設された馬祖新村です
外壁だけが残された住宅では台湾らしくヘゴ板で蘭が栽培されていました
ここ中壢は台北防衛の拠点として陸軍第6軍団指揮部が置かれており桃園縣の中でも眷村が集中していましたが、次々と消えていく眷村を残そうと地元政府が中心となりこの馬祖新村が整備されました。
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