出演者たちが魅力的だったので初回を見た。出だしは面白そうだったけれど途中からドタバタ感と女性蔑視が酷くて見る気が失せた。男性の脚本家のせいかどうにも女性の本心をつけていないようにも思えた。登場人物に大物俳優・女優がいないのはいい。真木よう子さんが主役を演じてはいるが彼女ひとりの魅力では心もとない。そこに二階堂ふみさんやYOU、安田顕さん、臼田あさみさん、吹越満さんなどが加わり重みが出ている。こじんまりとした俳優たちが伸び伸びと演じられる空間はいいんじゃない? 女性と男性が社会の中でどんな役割を担っているのかを上手く描いて欲しいけれど。実際にあんな事はないとは思うがひとりに責任を押し付け、しかも有り得ない謝罪をさせる場面。あそこは見ていて不快だった。話し上必要なのかも知れないがやり過ぎでは? だから男って嫌だよ、といい年をしたおばさんにも思えてしまいましたもの。若い子はどう感じるのか? 案外何も感じないのか? アホな男があれも有りかなどと勘違いしない事を望みたい。次回はどーかな。半分くらいは見るか・・・・?
朝刊の連載記事"いま 子どもたちは”で、親子のおしゃれについて取り上げていた。親子のおしゃれと言うからには中学生くらいの娘と母親だろうと思っていた。ところが記事を読んで驚いた。これが今時の親、そして子と言うものなのか。そのセンスにはまるでついていけないし、ついていく必要もないのだが・・・・。保育園児の男の子とその母のオシャレ談義。しかも男の子のファッションはホスト風。髪の毛や眉毛も整え、ひと月のオシャレ代は10万円。6歳の男の子だよー、信じられない。当然と言ったら失礼だがダンナとは別居状態で母親の実家で生活。一応自立(?)はしているようだが、余裕があるのなら他にお金の使い道があるだろうに。(子どもは大きくなればなるほどお金はかかるのだから貯金したらーと言いたい)他人の話だしどんな生き方をしても自由だけれど、私自身には考えもつかなかった教育方法だなー。いろんな生き方があるものだ、と妙に感心しちゃったり。この親子はネット上では有名親子らしく彼らのブログにはかなりのファンがいるそう。時代は確実に変化している。それが良い方向なのか否かは別にして。彼が全うな人に育つ事を祈りたい。仮にそうじゃなかったとしてもこの母親は後悔なんてしないのだろうな。そんな逞しさを記事から感じた。
今年も各地の成人の日関連のニュースが伝えられた。相変わらずの派手な振袖姿の女の子達。人生で一度くらいはあの格好をするのも良いのかとは思うが、親は大変だな。自分のお金であれら全てをまかなっている子はまずいないのだろうし。今回驚かされたのは福岡辺りで流行っている、花魁系の衣装をまとった人々。これがお祝いの姿か、とも思えたし皆で同じ格好をして喜ぶ姿にはどうしても感情移入が出来ない。綺麗に着飾るのが成人の日のあるべき姿、と思うのが一般的ではないのか? それとあれはどうしても結びつかない。ま、本人が良ければいいのだけれどね。年々こうした理解不能の新しい人種(?)が生まれるのか? それにしてもあれを商売にしている人もいるのだからなー。世の中にはいろんな人がいるものだ・・・・。
さだまさしさんが原作、とは聞いていたが内容までは知らなかった。地味だけれど中身の濃い映画だった。岡田将生さんがイイ感じ。彼は本当に整って顔でそこにいるだけで絵になる、日本人には珍しいタイプ。だからって演技が下手ではなく、今回は寧ろ上手い、と思った。今までにも彼が出演している映画は何本か観ているが特に上手いとも下手、とも感じなかったがこれは良い。吃音障害があり精神障害も持ち合わせた難しい役。なのにそれらしく演じられていて凄い! と感じた。今までの経験がそうさせたのかな。上司役の原田泰造さんも役に合っていて安心して見ていられた。誰もが嫌がりそうな遺品整理の仕事。これに就く人はやはり何らかの問題を心に持っている人が多いのか? と見てしまいそうになったがそれは偏見と言うものか。生かされているイノチ。大切にしなければ。
三谷さんの作品は以前は好きだった。面白くてよく見ていたのは田村正和さんが演じていた、古畑任三郎シリーズ。刑事コロンボと同じで最初に犯人が分かってしまうのだが、謎解きに興味があり見応えがあった。最近はテレビドラマよりも映画の脚本を書くほうが多いのか? 彼の新作を見る機会はなかった。しばらくぶりに今夜と明日の二夜連続でフジテレビ・開局55周年の特別企画で”オリエント急行殺人事件”が放送される。アガサクリスティー原作を彼が脚色。出演者たちも(毎度の事ながら彼の作品には多くの有名俳優が出る)豪華な面々。予告編を数回見たがこれもなかなかの出来。内容を知っていながらも遂、見てしまう。この不思議な魅力はなんだろう。三谷さん自身は神経が細やかそうでそれでいて臆病者な感じでとてもじゃないが好ましいタイプではない(失礼)。けれど脚本と脚本家は別物、と思いドラマの出来には期待している。