スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スプリント&身長

2009-04-08 21:03:59 | 地方競馬
 今晩のレースが第20回東京スプリントがとなっているのは,東京シティ盃が重賞に格上げになったという扱いになっているためですが,少しややこしすぎる気がします。
 先手を奪ったのは高知のポートジェネラル。この馬,小気味よく逃げて結果的に勝ち馬から1馬身半ほどの4着になるのですが,これだけ走れたというのは僕には驚きで,大健闘だったといえるのではないでしょうか。
 ブローザウインド,ゼンノパルテノン,トップサバトン,アグネスジェダイと追走。前半の600メートルは34秒7でハイペースですが,大井のコース形態からいえばこれは普通でしょう。直線ではゼンノパルテノンが最初に抜け出し,そのまま後続を振り切って優勝。勝ち馬の後ろのインに控え,直線は外に出てきたガブリンが2着。やや出負けした発走から向正面でインを追い上げ,直線もそのままインを突いたフジノウェーブが3着でした。
 優勝したゼンノパルテノンはこれが8勝目で重賞初制覇。1400メートルに良績を残していて,1200は初の出走だったのですが,1400より長い距離では苦戦していましたので,かえってよかったかもしれません。この路線ではまだ重賞を勝つ可能性もありそうです。
 鞍上は内田博幸騎手で管理するのは松永昌博調教師。もしも東京シティ盃の時代も含めるなら,内田騎手はこのレース2勝目ということになります。たぶん正式な記録にはそう残るのでしょう。

 さて,病気について語るためには,この生年月日の情報だけでなく,身体的なデータの話もしておいた方がいいだろうと思います。
 小学校,中学校と,整列するときは,背の順に並ぶことが最も多かったような気がします。僕はこの頃,「前にならえ」で手を伸ばすことができない一番前に並ぶということは1度もなかったのですが,必ず前から5番目以内にはいました。この頃は1クラスが概ね40人。もっとも背の順というのは男女で別々に並びましたので,男だけなら20人。それでも必ず前から5番目以内には並んでいたのですから,標準的な身長というものから考えれば,この頃の僕はずっと小さかったということになります。ただ,残念ながら手元に当時の記録がないので,具体的に何センチであったというところまでは分かりませんし,覚えていません。
 高校入学の時には制服を作りましたが,このとき,母のアドバイスがあって,僕はそのときの自分の身体よりも一回り大き目のものを買っています。母にはどうも僕の背が伸びるという確信めいたものがあったようです。ただ,母自身は150センチほどで,父も170を超えるくらいですので,単純に遺伝的に考えれば,伸びるにしてもそうは大きくならないだろうと思っていたのではないでしょうか。
 大き目の制服を買ったのは,結果的には成功でした。高校時代に僕の背はかなり伸び,最終的には178センチほどになりました。少なく見積もってもこの3年で25センチは伸びたことになります。中学校時代は僕より大きかった友人たちの多くを,僕は高校時代に追い抜いています。当時の友人のひとりからは,僕がこんなに大きくなるとは思わなかったと言われたこともあります。実際にはそんなに背が高い方ではないと思うのですが,やはり当時とのギャップはそれだけ大きいということなのでしょう。
コメント
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