スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

函館記念&みなと赤十字病院

2009-08-15 19:50:09 | 競輪
 今年のお盆の記念競輪の前半は函館記念で,12日が決勝(動画)でした。並びは菊地ー斉藤ー関戸の北日本,海老根に渡辺,石丸ー吉永ー藤野ー小岩で西国。
 後方になった海老根が前を抑えたのが打鐘前のバックでここからスローペース。石丸が外から上がり,さらにその外を菊地が叩いて北日本の先行。4番手を内の海老根と外の石丸で取り合う形となりホーム。そのまま石丸が外から捲り発進したのですが,吉永が離れる形になり,海老根が石丸の後ろに入りました。そのままこのふたりで前を捲りきって直線勝負となりましたが,海老根があっさりと交わして優勝。石丸が2着で,3着は菊地の番手から出た斉藤と,半ば自力のレースになった藤野で同着。
 優勝した千葉の海老根恵太選手は今年は東王座戦,寛仁親王牌とビッグを2勝していますが,記念競輪に限れば昨年の小田原記念以来の5勝目。その直前には函館記念を勝っていますので,当所は連覇。内に詰まる形となった展開はむしろ石丸選手に分があったと思いますが,うまく番手に入れましたし,石丸選手も簡単に捲ってしまったのであとは楽だったのではないでしょうか。シリーズリーダーとなるべき伏見選手が初日の落車で欠場となったこともあり,ここはこのふたりの力が抜けていると思われるメンバー構成で,終ってみれば,展開無用の力の決着でした。

 今年の元旦に救急車を呼んだときは,前のときのように僕にも余裕がありませんでした。玄関までは何とか自力で行きましたけれども,その先は担架で運ばれたくらいですから,これは正当な出動要請であったといえると思います。
 救急隊員は,僕にいくらか症状を尋ねた後,病院と連絡を取っていました。僕も意識はありましたけれどもそのやり取りがどんなものであったのかということや,どれくらいの時間が経過していたのかということは覚えていません。したがって救急隊員がいくつの病院と連絡を取り合ったのかは分かりませんが,僕はみなと赤十字病院に運ばれることになりました。
 僕は以前に腹の苦しさ喉の違和感で通院したことがありましたが,これが日本赤十字病院。僕の家から歩いて行かれるところにあった病院です。みなと赤十字病院というのは,この日本赤十字病院と港湾病院という病院が統合された病院。港湾病院は市立病院で,横浜市の赤字解消策のひとつとして,日本赤十字に売却されました。その当時,港湾病院は建物の老朽化により新築されたばかりでしたし,敷地もこちらの方がずっと広大でしたので,日赤はこちらに施設をすべて移しました。ここは僕の家からはおいそれと歩いていくことはできません。ただ,港湾病院の時代には,僕の母が顎関節症の手術をしていますし,また父も腸ヘルニアの緊急手術をしたことがありましたので,どこにあるのかということは僕も知っていました。なお,その手術の後に父は糖尿病で入院したのですが,それはこのみなと赤十字病院。結果的に親子してこの病院のお世話になることとなりました。主治医も同じ先生です。
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