スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

近代競馬150周年記念天皇賞&思想の背景

2012-04-29 18:45:39 | 中央競馬
 国内の平地レースでは最も長い距離の大レースとなる第145回天皇賞(春)
 発走後,少し押しながらゴールデンハインドの逃げに。ビートブラックが続き,大きく離れてナムラクレセント。さらに大きく離れてユニバーサルバンクとトウカイトリックで,残りの馬がここから少し離れて追走というレース。最初の1000mは60秒0で,昨日からの馬場状態を考えればスローともいえるミドルペースなので,こんなにバラけるようなレースになるのはおかしかったとはいえます。
 2番手のビートブラックが2周目の3コーナーでは前に出て,ゴールデンハインドもそれなりに食い下がって直線。まだ後続とは大きな差がついていて,ビートブラックも大きくはばてず,貯金を生かす形で4馬身差の快勝。後続の馬群からは中を割ったトーセンジョーダンが2着。大外のウインバリアシオンがさらに2馬身差の3着。
 優勝したビートブラックはまだ重賞も勝ったことがなく,伏兵中の伏兵であったとはいえます。2番手の馬が3コーナーで先頭に立ち,そうもばてないのなら,大きく離れて追走した馬は手も足も出なくなるのは必然。そういう意味ではそうしたレースに持ち込んだ鞍上の手腕が大きかったと思いますし,馬場状態やメンバー構成上の展開面などの恩恵も受けたといえるでしょう。単騎ではなく,2頭で先行していたというのも,後ろを幻惑する意味ではよい結果をもたらしたと思います。一族の活躍馬としては1991年と1992年のJRA賞最優秀障害馬のシンボリクリエンス
 騎乗した石橋脩騎手はこれが大レース初制覇。管理している中村均調教師は2004年のJBCスプリント以来の大レース制覇で春秋通じて天皇賞は初勝利。

 実は僕がスピノザの思想的背景にはあまり関心がないというとき,それはただ単に,スピノザが生きていた時代の雰囲気がスピノザの思想に与えた影響には関心がないとか,あるいはスピノザ自身の個人的な状況が,その哲学に与えた影響に関心がないということだけを意味するのではありません。もっと直接的にその哲学に関係してくるような思想的な背景に関しても,スピノザ自身が言及しているという場合にはもちろん別ですが,そうではない限りは僕はあまり関心をもっていないのです。
 『へーゲルかスピノザか』の日本語版には,補論として,鈴木一策の「アルチュセール学派とスピノザ主義」という論文がついています。この中で,スピノザの哲学とキリスト教の考え方,とくに原罪についての考え方の関係が説明されています。こうした神学がスピノザの思想に実際にある影響を与えていたのか否かは,僕には分かりません。そうであったかもしれませんし,そうではなかったかもしれないでしょう。ですからこの論文の是非に関しては僕は態度を留保しますが,そのことに僕は関心があるかないかといえば,はっきりありません。つまりスピノザの哲学が神学から重大な影響を受けていようと,あるいはいっかな影響を受けていないのだとしても,僕にはあまり関係がないのです。なぜならたとえどちらの場合であろうと,少なくとも僕にとっては,スピノザの哲学の内容そのものに関する興味は,それによって増したり減じたりするものではないからです。
                         
 思想に直接的に関係すると思われるような場合でもそうなのですから,それとは関係がないような部分でスピノザの哲学を成立させた背景がどんなものであったのかということに,僕があまり関心を抱くことがないというのは当然です。だから僕は清水禮子の研究そのものにはあまり関心をもちませんが,彼女がスピノザの哲学の認識論に関して,ある重大な変更があったと考えていることは確かですし,その変更の背景に関する研究は,スピノザの哲学の研究としては大いに意味をもち得るものでしょう。ですからこうしたことに関心があるという方には,『破門の哲学』はかなり面白く読めるのではないかと思います。

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