スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ビューパーダンスとステラマドリッド&昼食の時間

2013-12-07 19:23:48 | 血統
 ハーツクライの母は重賞2勝のアイリッシュダンスですが,その母は1983年にアメリカで産まれたビューパーダンスという馬で,この馬がこの母系の日本での輸入基礎繁殖牝馬になります。ファミリーナンバーエスサーディーと同じで6-a
                         
 全兄に種牡馬として輸入されたリファーズスペシャルという馬がいます。日本では大した種牡馬成績は残せませんでしたが,アメリカではGⅠの優勝馬も出しましたし,自身もイギリスのGⅠ勝ち馬。ビューパーダンスが繁殖牝馬として輸入された背景のひとつであったと推測されます。
 ビューパーダンスは日本では8頭の産駒を残し,活躍馬も少なくありませんでしたが,重賞を勝ったのはアイリッシュダンスだけ。そこからハーツクライへと血が継続されていったことになります。昨年のフラワーカップを勝ったオメガハートランドはアイリッシュダンスの孫で,ここからさらに優秀な産駒が出てくる可能性もあります。
 ビューパーダンスの半姉の仔にはアイリッシュシャドウという馬がいて,この馬も繁殖牝馬として輸入されました。産駒にはオープンで2勝,フェブラリーステークスでは3着になったシャドウクリークがいます。
 こうしたことからこの一族が注目されたためでしょう,ビューパーダンスの別の半姉の仔も繁殖牝馬として輸入されました。それが1987年にアメリカで産まれたステラマドリッド。アメリカでGⅠを4勝した馬です。この馬も日本で多くの仔を産み,またアメリカ産まれの一族から輸入された馬もいて,牝系は拡大中。現在のところはステラマドリッドの直仔で,重賞を4勝,2002年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬に選出されたダイヤモンドビコーが代表馬ですが,ステラマドリッドを輸入基礎繁殖牝馬とする系統からも,大レースの勝ち馬が輩出する可能性があるように思います。

 施設のバザーが開催されていた間,ずっと母と妹は行動を共にしていたというわけではないと思います。ただ,帰りは一緒でして,家に戻ったのは午後3時20分頃のことでした。
 25日の月曜日はすでに説明したように,母は施設へバザーの後片付けに出向きました。そしてこの日から,妹はショートステイに行っています。11月は予約をキャンセルし忘れた1泊のショートステイにも妹の意向で行きましたから,これが2度目。そしてそのときにも説明したように,この日からのショートステイは2泊3日でした。月曜は新たなる支援として実施されるようになった家までの迎えが継続されている唯一の日です。よって荷物もそれで同時に運搬してもらいました。なお,母はこのために妹を送り出した後でバスで施設の方へと赴きましたので,僕が妹を送り出すという必要はありませんでした。ちなみに僕はこの日は午前中が伊勢佐木町で午後から長者町。伊勢佐木町と長者町は隣町ですから,そのまま直行するのがどう考えても合理的です。しかし僕は伊勢佐木町での仕事を終えてから,家まで戻り,再び長者町へと出掛けました。昼食を摂取するために十分な時間を確保できるということが事前に判明している場合,僕は必ずこのようにしています。これは食餌療法のためには可能な限り外食は避けた方が利便的であるということと,家で食事を摂るならば,インスリンを持って出掛ける必要がなくなるということの,ふたつの理由からです。
 妹が戻ったのは27日の水曜日。僕はこの日は川崎でしたが,午後4時半前には帰宅しました。ただ,妹が勤務している作業所は,水曜日だけは作業の終了が午後3時と,ほかの日よりも1時間早くなっています。この場合はどんなに遅くなっても午後4時前には帰ってきますので,僕が帰宅したときには,妹はすでに帰っていたことになります。
 11月30日の土曜日に,母と妹は金沢区にある横浜市大病院に行きました。といっても何か異変があったからというわけではなく,病人の見舞いです。ここはかつて父が入院していたことがあり,妹は初めてだと思いますが,母は行ったことがある場所でした。

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