スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&第一部定理一の意味

2011-05-28 20:06:00 | 将棋
 水曜日の再戦となった第52期王位戦挑戦者決定リーグ白組プレーオフ。対戦成績は羽生善治名人の2戦2勝。
 この将棋は振駒で村山慈明五段の先手。羽生名人はごきげん中飛車を選択し③▲4八銀に。ただし流行の超速▲3七銀ではなく相穴熊になりました。後手は浮飛車から石田流のような形に。戦いは先手から仕掛け,飛車を角と交換して5筋にと金を作り,後手が2枚の飛車で反撃するという展開。今日はここから観戦。
                         
 見た瞬間,どうして▲5七金が直前の指し手なのか把握しかねました。取れる金を取らなかったのですから△6九成桂はこの一手と思いました。角が逃げては△7九成桂で一方的に剥がされますから▲6七金寄と活用するのは自然に思います。△6八成桂▲同金引(第2図)は予想手順。
                         
 後手は歩の攻めが効かないのに対し,先手はと金を使っての攻めができそうなので,ここは先手の方が指しやすいのではないかと思いました。予想は困難でしたが△5六角。交換は明らかに損ですから▲3五馬。△3四歩と打診して,▲3六馬かと思いましたが▲5七馬と引きつけました。△7八角成と切っていったのはびっくり。▲同金は当然でしょう。△6九金は一見すると重い感じですが,攻めるならこれしかなさそうです。ただ,厳しいことは厳しく,先手が容易ではないように思えてきました。▲6八銀打を主に考えていましたが▲3六角でした。あまり時間を使うことなく△5六歩が指され,先手もすぐに▲7ニ角成。△同金は当然。そこで▲6一銀(第3図)と打ち,いよいよ攻め合いに出ました。
                         
 僕のレベルでは難しいところで,まず△5七歩成▲7ニ銀成△6八とというのを考えるわけですが,以下を検討中に指されたのは△7一金。前の手順が負けならこう指すところと思います。▲6三桂は最も厳しい攻めに思えます。ここで△5七歩成と取りました。▲7一桂成△同銀は当然と思います。そこで▲7三桂という手が出ました。取ると▲7ニ金で先手が勝ちそう。ということで△7九金。▲8一桂成△同王(第4図)と進みました。
                         
 ここまで先手の読み筋だったと思われますが,ここで時間を使いましたので,誤算があったものと思います。▲同金と取った手は詰めろですが△4五角が詰めろ逃れの詰めろ。▲7ニ金△同銀▲7一金△9一王▲8二金△同王▲7ニ銀成△同角と角筋を逸らすのはここに至っては仕方なかったと思います。▲同金△同王(第5図)はほぼ必然。
                         
 この局面は,先手玉に即詰みこそないものの,駒をかなり渡したので王手か詰めろの連続で後手玉に迫らなければなりません。しかしそれに適した手段も残されてなく,後手の勝ちとなりました。
 勝った羽生名人が白組優勝で挑戦者決定戦に進出となりました。
                         

 ここでひとつ,考えておかなければならないことがあります。それは,第一部定理一というのが,どのような意味をもっているのかということです。というか,この定理自体の意味というのは明白だと思いますが,ここで実体がその変状に先立つといわれるとき,これをどのように理解するべきなのか,つまり,もっと一般的にいうならば,AがBに対して本性の上で先立つといわれる場合に,これをどのように解するのかということは,意外に重要なことだと思うのです。
 まず,僕はこのことを,AがBよりも時間的な意味において先行するというようには理解しません。この定理自体は名目的な意味しか持ち合わせませんが,とくに現在のように,これを実在的な観点から援用しようとする場合には,このような理解はほとんどそぐわないであろうと思います。なぜなら,時間というのは表象なのですが,たとえそれを何か意味のあるような表象,つまりスピノザがいう理性の有とか表象の有として理解するとしても,時間的な観点というのは,第二部定義五でいわれているような,持続的なものにとってのみ有意味なのだと思います。ところが,実体というのは,これも名目的な定理と理解するべきでしょうが,第一部定理七で示されているように,その本性に存在が含まれています。いい換えれば第一部定義一にいう自己原因なのであって,第一部定義八に示されているような永遠なる存在です。よって時間的な観点というのは,実体に関しては意味を有するということ自体ができません。なので第一部定理一自体が時間的な観点を含むことができないということは,それ自体で明らかだといえるでしょう。
 そして僕はこのことが,一般にAがBよりも本性の上で先立つといわれる場合にも通用すると考えるのです。というのは,事物の本性というものは,それがたとえ個物の本性であったとしても,やはり実体がそうであるように,持続ではなく永遠に関するようなものだと思うからです。たとえばその内角の和が二直角であるということは平面上の三角形の本性に属しますが,これは永遠から永遠にわたっての真理であり,昨日も今日も持続しているというようなものではありません。そのゆえに,現実的に存在するある三角形が消滅する,すなわちその持続が途絶えることがあるとしても,この本性までは消滅しないということになると思うのです。

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