スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

和歌山グランプリ&折合い

2015-01-13 18:54:08 | 競輪
 年末のグランプリを優勝した武田の今年の初戦になった和歌山記念の決勝。並びは鈴木-武田-真崎の茨城栃木,小原-内藤-渡辺の南関東,津村-吉本の福岡で稲毛は単騎。
 前受けになった鈴木を残り2周のホームで小原が叩き,津村ラインと稲毛も続くと鈴木は完全には引かず津村のインで粘るような態勢でバックに。ここから津村が発進,小原を叩いたところで打鐘。吉本の後ろがインの小原とアウトの稲毛で競り合いに。打鐘過ぎにすかさず巻き返した鈴木はホームで津村に追いつき,ここから先行争いに。バックで鈴木は前に出ましたが,津村と武田が併走に。ここで稲毛が発進。しかしこれは武田がうまく牽制。稲毛に乗った内藤がインにいった真崎と武田の間を突き,武田は外に浮きかけたのですが,何とか凌いだ武田が直線で伸びて優勝。逃げた鈴木がぎりぎりで2車身差の2着に粘って茨城のワンツー。内藤の後ろから大外を追い込んだ渡辺がよく伸びて微差の3着。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は年末の競輪グランプリからの連続優勝。記念競輪は昨年2月の静岡記念以来で協賛競輪なども含めGⅢは23勝目。和歌山記念は2011年2013年に優勝していて2年ぶりの3勝目。記念競輪優勝に少し間が開いたのは昨年の出場停止の影響。いつでも勝てるということは明らかになっていましたし,今日はメンバー的に負けることは考えにくいと思っていました。普通だと負けパターンに嵌ったような展開なのですが,それを跳ね返して2車身差での優勝は,力の違いを見せつけるものであったといえるでしょう。

 スピノザは,単一の実体が複数の属性によって本性を構成され得るということを認めています。厳密にいうなら,この問いに形而上学的解答は与えられない,他面からいえばこのような仕方での実体の区別の方法を知性は有していないというべきでしょうが,それは複数の属性によって本性を構成される実体の存在の可能性を認めているからこのようにいわれていると解せるでしょうから,認めているといっていいと思います。現に実在的観点に立てば,明らかにそう主張しています。
 この点が,実体と属性の理性的区別にとって,特有の難点を産出しているわけです。ですから,まずスピノザの形而上学からこれを取り払ってしまいます。つまり単一の実体は単一の属性によって本性を構成されるものだと限定してしまうのです。これはライプニッツの規定をスピノザの形而上学に置き換えるための手段として講じる措置であり,スピノザの形而上学体系を破壊してしまうような措置ではありません。というのは,ここでいっているのは,たとえば物体的実体の本性は延長の属性によって構成されるという意味であり,このことはむしろ当然であるといえるでしょう。いい換えれば,この場合に,物体的実体の観念対象ideatumと,延長の属性のideatumは,同一であるということになります。というか,同一であると解せるようになります。思惟的実体と思惟の属性の場合でも同様でしょう。スピノザの哲学では,物体的実体と思惟的実体は同一の実体であるわけですが,便宜的にそれを異なった実体であるかのように把握しておくといのがここで僕が施している措置です。物体的実体と思惟的実体,あるいは同じことですが延長の属性と思惟の属性の区別は実在的区別なのですから,この措置がスピノザの形而上学の体系ないしは構造を破壊するようなものになっていないということは間違いないと思います。
 このように把握したときに,無限に多くの実体が実在するという点で,スピノザの形而上学とライプニッツが規定すべき形而上学との折合いをつけることができるようになるというのが僕の考え方です。これ以外の方法では不可能だと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 王将戦&実体と属性の理性的区別 | トップ | 船橋記念&最初の齟齬 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

競輪」カテゴリの最新記事