スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ニューイヤーカップ&ライプニッツの規定

2015-01-08 19:37:46 | 地方競馬
 明け3歳馬による最初の南関東重賞,第58回ニューイヤーカップ
 ウインバローラスは立ち上がるような発馬。好発はノースノースでしたが最内のラッキープリンスが行く構えを見せると正面で譲り,ラッキープリンスの逃げに。2番手マークがノースノース。3番手はコスモグリズリーとコールサインゼロの併走でしたが,コールサインゼロはコーナーごとに外に膨れてしまい,向正面入口では脱落。変わってオウマタイムが4番手に。前半の800mは50秒0のハイペース。
 3コーナーを回ると前の2頭と後ろの差が少し開き,どうやら前2頭での優勝争いに。しかし競り合うというところまではいかず,逃げ切ったラッキープリンスの優勝。ノースノースが2馬身差の2着。内から差を詰め最後だけ外に出たオウマタイムが1馬身差の3着。
 優勝したラッキープリンスは南関東重賞初制覇。デビューから4連勝した後,南関東重賞と重賞を使って3連敗。はっきりと頭打ちの成績でしたが,ここは好枠を利して逃げ切りました。あくまでも枠順が有利に働いたというのが僕の見立てで,条件が変わってくれば同じ相手に逆転を許すこともあるのではないかと思います。父は2003年のシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年の佐賀記念を勝ったサイレントディール。祖母の父がサクラローレル
 騎乗したのは川崎で期間限定騎乗をしている金沢の吉原寛人騎手で昨年8月のアフター5スター賞以来の南関東重賞制覇。ニューイヤーカップは初勝利。管理している浦和の小久保智調教師第57回に続く連覇でニューイヤーカップ2勝目。

 無限連鎖の説明がもたらす矛盾を解決するためのスピノザの規定は,最近原因としての神という観点を持ちこむことでした。もしもライプニッツが実体の概念の認識の無限連鎖を避けようとするなら,これと同様の手法を用いるほかないと僕は考えます。厳密にいうと,ライプニッツが逃れなければならないのは,認識の無限連鎖だけとは限らないことが明らかになっていますが,どういう場合であっても,実体の認識を神に依存させるのでなければ,実体すなわちモナドの認識が知性によって可能であるという帰結を得ることは不可能だと僕は考えるのです。別のいい方をすれば,モナドの概念とは別に神の概念があって,その神の概念が知性のうちに生じるなら,必然的にモナドの概念も生じるというような規定が,ライプニッツの形而上学には必要であったと僕は考えるのです。
 これによって,ライプニッツの哲学を構成する形而上学的部分が,どのように構成されなければならないのかという点までは明らかとなったわけです。すなわち,第一に無限に多くのモナドいい換えれば実体が実在すること。そしてそれら無限に多くの実体はそれ自身のうちにあるということ。これは他面からいうと,どんな実体もほかの実体とは実在的に区別されなければならないという意味に僕は解します。ただし区別の規準は,スピノザの哲学と同一ではあり得ません。そして最後に,どんな実体も,それ自身によって考えられるということはなく,神によって考えられるということです。
 このうち,無限に多くのモナドすなわち実体が実在するという点に関しては,異論が出ることは予想されません。しかし実体がそれ自身のうちにあり,神によって概念されるということは,僕の予測であって,実際にライプニッツはそう主張していないのかもしれません。
 ただ,その場合はほとんど問題にならないことになります。というのは,僕が示したのは,ライプニッツは形而上学をそのように構成しなければならなかったということです。したがってもしもライプニッツがそれと異なった仕方で構築していたら,直ちにそれは誤謬を含んでいると結論してよいことになるからです。
コメント
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