スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第四部定理六二&観念と意志作用

2023-09-25 19:31:12 | 哲学
 僕は第四部定理六六証明の中で,第二部定理四四系二により,ものを永遠の相の下に知覚することが理性の本性に属するDe natura Rationis est res sub quadam aeternitatis specie percipereので,理性に従うことによって生じる感情affectusは,それが現在と関係していようと未来と関係していようと同一であるがゆえに,より小なる現在の善bonumよりもより大なる未来の善を欲求するし,より大なる未来の悪malumよりはより小なる現在の悪を欲求するようになるといいました。このことを感情に訴えることによって証明することができるのは,第四部定理六六でいわれている欲求するというのが,欲望cupiditasという感情にほかならないからです。つまりこの証明Demonstratioはこのような訴求の仕方で瑕疵はないことになります。
                                   
 このことから理解することができるのは,このことは必ずしも感情だけに限定されるわけではないということです。永遠の相の下に事物を認識するcognoscereことが理性の本性に属するのであれば,理性に従って事物が認識される限り,それは現在と関係していようと未来と関係していようと,あるいは過去と関係しているとしても,それはそうした時間tempusによっては説明され得ないのですから,すべて同じように認識されることになるでしょう。つまり理性に従っている限りで同一であるといわれるのは,感情に限ったことではなく,観念ideaそのものについても同様なのです。
 『エチカ』にはそれを示した定理Propositioがあるのであって,スピノザは第四部定理六六を証明するときにはその定理を援用しています。それが第四部定理六二です。
 「精神は,理性の指図に従って物を考える限り,観念が未来あるいは過去の物に関しようとも現在の物に関しようとも同様の刺激を受ける」。
 もうすでに証明されているので,それ以上のことは不必要でしょう。僕たちが理性に従って認識する事柄は,時間によって説明されるような観念であったり感情であったりはしません。よってそうした時制と無関係に,僕たちを同様に刺激するafficereことになるのです。

 一端が固定されもう一端が運動することによって形成される図形の観念ideaは,円の観念と結びつくからそれを概念するconcipere知性intellectusのうちで真verumであるといわれるのであって,単に直線の観念としてみれば誤った観念idea falsaといわれなければなりません。これはつまり,直線についてこの運動motusを肯定するaffirmareことは,円の真の観念idea veraを有する限りで真であるといわれなければならないというのと同じです。そしてこの肯定affirmatioが,スピノザの哲学では意志作用volitioといわれるのです。
 これでみれば分かるように,一端が固定されもう一端が運動するということを直線について肯定する意志作用というのは,円の真の観念がなければあることも考えることもできない意志作用であることになります。この肯定は円の観念については肯定することができますが,円以外の何らかの事物の観念を肯定するということはできないからです。一方,円の真の観念は,こうした直線の運動を肯定する意志作用がなければあることも考えることもできません。これ以外の様式で知性が円を概念するということ,あるいは同じことですが,知性が十全な原因causa adaequataとなって円を概念するということはできないからです。よって,円の真の観念と,直線について一端が固定されもう一端が運動するということを肯定する意志作用は,一方がなければ他方が,他方がなければもう一方が,あることも考えることもできない関係にあることが理解できます。これはちょうど第二部定義二により,事物と事物の本性essentiaの関係と同じです。この場合でいえば,一端が固定されもう一端が運動することによって形成されるということは,それが知性によって認識される限りは円の形相的本性essentia formalisであるのですから,なおのことこの関係と同一であるということが理解しやすいだろうと思います。つまり,円の真の観念と円を肯定する意志作用は同一のものです。ですから,円を肯定する意志作用が円の観念を超越して,円の真の観念の起成原因causa efficiensとなることはできないのです。そしてこの関係が,あらゆる個別の観念とそれらの観念を肯定したり否定したりする個別の意志作用との間に成立します。だから一般に任意の意志作用がある観念の原因であることはないのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カーンの雑感⑮&観念の原因 | トップ | 農林水産大臣賞典白山大賞典... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

哲学」カテゴリの最新記事