スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

返信の推測&慣性の法則とコナトゥス

2024-05-28 19:14:31 | 哲学
 書簡三十三には返信がありません。これは見つかっていないだけかもしれませんし,スピノザが書かなかったのかもしれません。その内容がどのようなものになるかは,推測するしかありませんので,試みてみます。ただしこれは,オルデンブルクHeinrich Ordenburgがユダヤ人の動向について尋ねている事柄に限定します。
                                        
 ユダヤ人の帰還に関しては,スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の中で,いずれはユダヤ人は再び建国するであろうということをいっていますが,これは将来的なことであって,スピノザが生きている時代にそのようなことが起こるとはスピノザは考えていなかったと思います。この部分はすでに探求したように,ユダヤ人は国家Imperiumを失った後でもユダヤ人としてのアイデンティティを失わなかったということの帰結としていわれているのであり,すなわちユダヤ人はこれからもユダヤ人としての儀式を継続していくだろうし,それが継続していくのであればいずれは再建国も夢ではないだろうというような意味だと僕は考えています。
 一方,アムステルダムAmsterdamのユダヤ人がこのことをどのように受け止めているのかということは,スピノザはよく分からなかったのではないでしょうか。スピノザはユダヤ人共同体からは追放されていましたし,追放した側のユダヤ人たちは,スピノザとの接触を禁じられていました。スピノザの方も積極的に交流するつもりはなかったでしょうから,この時点でスピノザと交流があったアムステルダム在住のユダヤ人というのは皆無であった筈です。もちろんスピノザの友人の中には,アムステルダムでユダヤ人と交流をもっていた人がこの時点でもまだいたでしょうから,そうした友人を通じてユダヤ人たちのことがスピノザに伝わるということがまったくなかったとは思いませんが,それでも帰還について具体的にどのように考えているのかということがスピノザに伝わっていたとは思えません。ですからこのことについてはスピノザは噂としては聞き及ぶことがあったとしても,何か具体的に答えることができたとは思えないです。ですからスピノザはオルデンブルクのこの質問に対しては,確たることは答えられなかったと僕は考えています。

 『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』で慣性の法則がコナトゥスconatusとされていることによって,なぜ現実的に存在する個物res singularisがコナトゥスを有するということになるのかということについては,國分の説明をみていきましょう。
 ある個物が現実的に存在するということは,その個物を生成し,存在させる方向へ諸々の原因causaが一致して働きをなしたからです。このことは個物が自己原因causa suiではないということから明白といわなければなりません。しかるにこの働きは,外部からそれを妨げる原因が与えられない限りは,慣性の法則によってその状態を維持しようとします。このことは第三部定理四と一致しているといえるでしょう。したがって個物は現実的に存在している以上は,存在し続ける方向へとpotentiaが働くのです。もちろん現実的に存在する個物は,ほかの現実的に存在する諸々の個物の影響を多様な仕方で受けますから,存在し続ける方向へと働く力自体は変化するといわなければなりません。このことは現実的に存在する個物の実在性realitasは,より大なる実在性からより小なる実在性へも移行するし,より小なる実在性からより大なる実在性へも移行することもあるということで,かつもし外部の力が現実的に存在するある個物のコナトゥスを完全に凌駕してしまえば,その個物は存在することをやめてしまうでしょう。すなわち,現実的に存在する人間についていえば,人間は喜びlaetitiaを感じることもあれば悲しみtristitiaを感じることもあり,たとえ悲しみを感じるとしてもそれは実在性すなわち完全性perfectioなのであって,かつ,外部の力に凌駕されてしまうなら,その人間は死んでしまうであろうということです。この人間の例からして,國分がいっていることが成立していることはよく理解できると思います。
 したがって,現実的に存在する個物は,必ずいつか現実的に存在することをやめることになるのですが,現実的に存在することになった以上は,その存在を持続するdurare方向へと働く力を,自然界には慣性の法則があるというのと同じ意味で,有していることになるのであって,かつ現実的に存在している間はその力すなわちコナトゥスをもち続けることになるのです。
 この部分の考察はここまでです。

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