スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京盃&遺品目録

2024-10-04 19:18:15 | 地方競馬
 昨晩の第58回東京盃
 ブラックストームは発馬で立ち上がってしまい大きく取り残されました。エンテレケイアが予想通りに逃げ,ヘリオスが2番手。3番手はマックスとシャマル。5番手にギャルダルとエートラックス。7番手にチカッパとイグナイター。9番手にボイラーハウスとスターシューターとクロジシジョー。3馬身差でジゼルとケイアイサクソニーで大きく離れてブラックストームという隊列。前半の600mは34秒2のハイペース。
 3コーナーではエンテレケイア,ヘリオス,シャマルの3頭が雁行になり,外の方からギャルダルとエートラックスも追い上げてきました。直線に入ると前の3頭からシャマルが前に。外に出されたチカッパがそれを追い,内を回って逃げたエンテレケイアとシャマルの間を突いてマックス。外のチカッパが差し切って優勝。マックスが半馬身差の2着でシャマルが半馬身差で3着。
 優勝したチカッパ北海道スプリントからの連勝で重賞2勝目。このレースは有力馬が外目の枠に集中しましたので,波乱の余地もあるとみていました。シャマルは3着に入れましたが,総じて内目の枠から道中は内を走った馬が上位に入っていますから,その面の影響は大きかったと思います。とはいえ古馬との初対戦で結果を出したのは評価できるところ。1400mよりも1200mの方が向くスプリンターとみていいでしょう。父はリアルスティール。馬名は博多弁でとても。
 騎乗した横山典弘騎手は第30回以来となる28年ぶりの東京盃2勝目。管理している中竹和也調教師は東京盃初勝利。

 葬儀についてはスペイクが支度をして4日後に執り行われたとナドラーSteven Nadlerはいっていて,その理由が葬儀費用の捻出のためであったとしているフロイデンタールJacob Freudenthalとは見解を異にしています。アムステルダムAmsterdamから来た会葬者も少なくなかったに違いないといっていますが,具体的な名前は出していません。コレルスJohannes Colerusが何の報告もしていませんし,会葬者の名簿は記録として残していないでしょうから,これはある意味では当然です。ただフッデJohann HuddeとかマイエルLodewijk Meyer,イエレスJarig Jellesといった人たちはアムステルダムに住んでいたわけですから,彼らが出席したことについてナドラーが否定しているというわけではありません。
                            
 レベッカRebecca de SpinozaとダニエルDaniel Carcerisについても,葬儀に出席したかどうかは分からないとナドラーはいっています。ここでナドラーはダニエルのことを,レベッカの甥でもあり義弟でもあるといっているのですが,この意味は僕には不明です。ダニエルはレベッカの姉であるミリアムMiryam de Spinozaの子であって,後にミリアムが死んで夫とダニエルが残されたところにレベッカが嫁いだのです。これでみればレベッカとダニエルの関係は義姉弟ではなく,義母子になる筈だからです。ダニエルがミリアムの子であるということはしかとした記録として残されているのですから,ダニエルがレベッカの義弟であるとすれば,レベッカがダニエルの父の義娘になった場合です。しかし義娘になる理由があるようには思えませんし,吉田は結婚したのだと確定的に書いています。なのでこの部分は誤りではないでしょうか。
 レベッカは3月2日に,自身とダニエルをスピノザの遺産の相続人であると宣言しました。この宣言によってスペイクはスピノザの遺品の目録を作成する権限を与えたとされています。フロイデンタールの記述だと,死の当日に遺品の目録が作成されたけれども,正確ではなかったのでスペイクが正しい目録を作ったと読めるようになっていて,死の当日に遺品の目録が作成されていたことについてはナドラーも否定していませんが,3月2日の遺品目録は,レベッカの要求に従ってスペイクが改めて作成させたということですから,最初の遺品目録も不正確だったのではないかもしれません。

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