昨晩の羽田盃トライアルの第26回クラウンカップ。
ポリゴンウェイヴが逃げて向正面に入るところで3馬身くらいのリード。2番手にチェルカトローヴァで3番手にオーマイグッネスとハセノゴールドとゴールドラッドマン。7馬身ほどあってサムタイムアゴー。7番手にブルグミューラーで8番手にナイトオブバンド。2馬身差でライズゾーン。10番手にスカイアクロスとコンプラドール。4馬身差でナガタエースとハーピーレックスが最後尾を併走。前半の800mは50秒1のハイペース。
直線の入口ではポリゴンウェイヴとチェルカトローヴァとハセノゴールドが雁行。逃げたポリゴンウェイヴが内を開けたので,チェルカトローヴァは直線はポリゴンウェイヴの内に進路を取りました。外のハセノゴールドがポリゴンウェイヴに並ぼうとするとまたポリゴンウェイブが踏ん張るという競り合いになり,ハセノゴールドの方がやや力尽きると,その外から追い上げてきたナイトオブバンドがハセノゴールドを差して2番手に。ポリゴンウェイヴはその追撃も最後まで凌ぎ,一杯に逃げ切って優勝。ナイトオブバンドが4分の3馬身差で2着。ハセノゴールドが半馬身差で3着。
優勝したポリゴンウェイヴはニューイヤーカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。ここでは実績が断然。先週の京浜盃を走ったばかりで疲労が懸念されましたが,それを克服しての優勝となりました。直線でフラフラしていたように,気性面が最大の課題の馬なので,おそらくこのレースのように多少はペースが上がっても逃げてしまった方が力は出せるのでしょう。距離が長くなるのはマイナスに作用しそうに思えます。母の父はキングカメハメハ。フロリースカップ系ガーネットの分枝で母のひとつ上の半兄に2014年の福島記念と2015年の金鯱賞を勝ったミトラ。Polygon WaveはPerfumeのアルバム名。
騎乗した船橋の山口達弥騎手は2020年の東京ダービー以来の南関東重賞2勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞61勝目。第20回,21回,22回に続き4年ぶりのクラウンカップ4勝目。
僕は現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちには,すべての人間に共通する本性essentiaの共通概念notiones communesはあるけれど,何が一般に人間の本性natura humanaであるのかは分からない,分かるにしてもきわめて困難であるといいました。福居の論理は僕がそのことの根拠としたことに準じています、すなわち,現実的に存在するAという人間がBという外部の物体corpusと関係をもつと,AにもBにも共通しかつ特有であるXとYの共通概念が発生するのですが,XがBとだけ共通しかつ特有であるのかということはこのことだけではAに知られるわけではありません。このことはYについても同様です。したがって,Xの共通概念の一般性とYの共通概念の一般性のレベルに差があるということはAには知られ得ないのです。ですからこの限りでは,共通概念は共通概念に留まるのであって,一般性のレベルに差はありません。より正確にいえば,共通概念の一般性のレベルに差があるということはAの精神には知られ得ないのです。だからこの点だけみれば,福居の主張に理があるということを僕は認めるのです。
しかしこれはあくまでもこの限りでのことです。第二部定理三九は,現実的に存在するある人間が,ある特定の外部の物体とだけ関係を有するということを前提しているとは僕は考えません。Aという人間が現実的に存在するなら,Bという外部の物体とだけ関係をもつわけではないのであって,Cとも関係をもつしDとも関係をもつという具合に,数多の物体と関係をもつことを前提しているのであって,その関係をもつそのたびごとに,共通概念が反復的にAの精神のうちに発生するということを含意しているのだと僕は解します。よって共通概念が反復的に形成されることによって,各々の共通概念に差異があるということは,その共通概念がどのような類の共通概念であるということは分からないにしても知られ得ると僕は考えるのです。
分かりやすく次のような例をあげましょう。AがBと関係を有するとき,XとYの共通概念がAの精神のうちに発生し,Cと関係を有するときにはYとZの共通概念が形成されると仮定しましょう。この限りでは各々の共通概念に差異があるとAは認識できます。
ポリゴンウェイヴが逃げて向正面に入るところで3馬身くらいのリード。2番手にチェルカトローヴァで3番手にオーマイグッネスとハセノゴールドとゴールドラッドマン。7馬身ほどあってサムタイムアゴー。7番手にブルグミューラーで8番手にナイトオブバンド。2馬身差でライズゾーン。10番手にスカイアクロスとコンプラドール。4馬身差でナガタエースとハーピーレックスが最後尾を併走。前半の800mは50秒1のハイペース。
直線の入口ではポリゴンウェイヴとチェルカトローヴァとハセノゴールドが雁行。逃げたポリゴンウェイヴが内を開けたので,チェルカトローヴァは直線はポリゴンウェイヴの内に進路を取りました。外のハセノゴールドがポリゴンウェイヴに並ぼうとするとまたポリゴンウェイブが踏ん張るという競り合いになり,ハセノゴールドの方がやや力尽きると,その外から追い上げてきたナイトオブバンドがハセノゴールドを差して2番手に。ポリゴンウェイヴはその追撃も最後まで凌ぎ,一杯に逃げ切って優勝。ナイトオブバンドが4分の3馬身差で2着。ハセノゴールドが半馬身差で3着。
優勝したポリゴンウェイヴはニューイヤーカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。ここでは実績が断然。先週の京浜盃を走ったばかりで疲労が懸念されましたが,それを克服しての優勝となりました。直線でフラフラしていたように,気性面が最大の課題の馬なので,おそらくこのレースのように多少はペースが上がっても逃げてしまった方が力は出せるのでしょう。距離が長くなるのはマイナスに作用しそうに思えます。母の父はキングカメハメハ。フロリースカップ系ガーネットの分枝で母のひとつ上の半兄に2014年の福島記念と2015年の金鯱賞を勝ったミトラ。Polygon WaveはPerfumeのアルバム名。
騎乗した船橋の山口達弥騎手は2020年の東京ダービー以来の南関東重賞2勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞61勝目。第20回,21回,22回に続き4年ぶりのクラウンカップ4勝目。
僕は現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちには,すべての人間に共通する本性essentiaの共通概念notiones communesはあるけれど,何が一般に人間の本性natura humanaであるのかは分からない,分かるにしてもきわめて困難であるといいました。福居の論理は僕がそのことの根拠としたことに準じています、すなわち,現実的に存在するAという人間がBという外部の物体corpusと関係をもつと,AにもBにも共通しかつ特有であるXとYの共通概念が発生するのですが,XがBとだけ共通しかつ特有であるのかということはこのことだけではAに知られるわけではありません。このことはYについても同様です。したがって,Xの共通概念の一般性とYの共通概念の一般性のレベルに差があるということはAには知られ得ないのです。ですからこの限りでは,共通概念は共通概念に留まるのであって,一般性のレベルに差はありません。より正確にいえば,共通概念の一般性のレベルに差があるということはAの精神には知られ得ないのです。だからこの点だけみれば,福居の主張に理があるということを僕は認めるのです。
しかしこれはあくまでもこの限りでのことです。第二部定理三九は,現実的に存在するある人間が,ある特定の外部の物体とだけ関係を有するということを前提しているとは僕は考えません。Aという人間が現実的に存在するなら,Bという外部の物体とだけ関係をもつわけではないのであって,Cとも関係をもつしDとも関係をもつという具合に,数多の物体と関係をもつことを前提しているのであって,その関係をもつそのたびごとに,共通概念が反復的にAの精神のうちに発生するということを含意しているのだと僕は解します。よって共通概念が反復的に形成されることによって,各々の共通概念に差異があるということは,その共通概念がどのような類の共通概念であるということは分からないにしても知られ得ると僕は考えるのです。
分かりやすく次のような例をあげましょう。AがBと関係を有するとき,XとYの共通概念がAの精神のうちに発生し,Cと関係を有するときにはYとZの共通概念が形成されると仮定しましょう。この限りでは各々の共通概念に差異があるとAは認識できます。
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