今年度から新設された第1回JBCレディスクラシック。
最内でしたしエーシンクールディの逃げになるのは当初から予想されたところ。ブラボーデイジー,カラフルデイズと追っていき,ラヴェリータはその後ろ。さらにウェディングフジコとギンガセブンを挟んでミラクルレジェンド。最初の800mが47秒8ですから,ミドルペース。ただこのレースはペースが緩むところがいっかななく,レコードタイムでの決着になりました。
ミラクルレジェンドが向正面で少し押し上げていったほかはほとんど隊列に変化がなく直線に。まずはラヴェリータが先頭に立ったのですが,外からミラクルレジェンドがわりと楽にそれを交わし優勝。ラヴェリータが2着。7馬身差の3着にカラフルデイズ。
優勝したミラクルレジェンドは8月のオープン,9月のレディスプレリュードと連勝できていて3連勝。重賞は4勝目。前走の回顧でもいったように,2着馬に勝るとも劣らない力の持ち主で,ここは同じ斤量で破ったというのがひとつの収穫。ただマークする強みはありました。今後も一緒に走るケースがあるかと思いますが,確実に先着するとはまだいえず,負けることもあるのだろうと思います。この後は牡馬相手の路線を選択するようですが,それなりに走れるのではないでしょうか。父はフジキセキ。
騎乗したのは岩田康誠[やすなり]騎手で管理しているのは藤原英昭調教師。記念すべき第1回にその名を刻むことになりました。
僕の部屋に新しいエアコンが設置された翌日,7月31日の日曜日ですが,この日が昨年の8月に死んだ父の一周忌の法要でした。通夜と葬式は斎場で行いましたが,こうした法要に関しては,自宅で行うか,さもなければ寺の本堂で行うかのどちらか。百日法要のときは母の入院中ということもあり,あまり多くの人は呼べないような状況であったために自宅で済ませたわけですが,この日は寺の方で行うことになっていました。日取りに関してはある程度の融通がききますが,時間となると寺の住職の都合が優先され,この日は午後2時からでした。ロサンゼルスの伯母のこのときの来日は,この日程に合わせてのものです。
親戚の間で懸案となっていたのは父の最も下の姉であるK伯母のことです。伯母のことは父の長兄であるY伯父にほとんど任せていましたので,少なくとも僕は,この日まで詳しい状況というのを知りませんでした。そこでこの日にそれを聞いてみたのですが,K伯母の具合が悪くなったのは,泌尿器に問題があったからとのことでした。実はK伯母は排尿の回数が少ない人で,以前にも膀胱炎にかかったことがありました。それで薬を飲んでいたようなのですが,本人は完治したつもりになっていて,ある時期からは放置していたとのこと。それが再発してしまったのが,結果的には入院の理由となったのです。ただ,検査を重ねてそうした原因が突き止められましたので,治療の成果が上がり,この直前には一時的には家に戻っていたそうです。これは退院したものなのか,あるいは一時的な帰宅であったのか,はっきりしたことは分かりませんでした。ただ,長く寝込んでしまっていたために,筋力の劣化がひどく,この7月31日の時点ではまた入院していまして,残念ながら一周忌法要に出席することはできませんでした。
入院は再び本郷台の横浜栄共済病院にしたとのことですが,病気自体は改善していました。つまりこのときのK伯母に必要であったのは筋力を取り戻すためのリハビリでした。このために,翌週にはリハビリ専門の病院の方に転院する予定になっていまして,これは伯母の住む市営住宅のほど近く。具体的な日時は不明ですが,実際に伯母はそちらに転院したのです。
最内でしたしエーシンクールディの逃げになるのは当初から予想されたところ。ブラボーデイジー,カラフルデイズと追っていき,ラヴェリータはその後ろ。さらにウェディングフジコとギンガセブンを挟んでミラクルレジェンド。最初の800mが47秒8ですから,ミドルペース。ただこのレースはペースが緩むところがいっかななく,レコードタイムでの決着になりました。
ミラクルレジェンドが向正面で少し押し上げていったほかはほとんど隊列に変化がなく直線に。まずはラヴェリータが先頭に立ったのですが,外からミラクルレジェンドがわりと楽にそれを交わし優勝。ラヴェリータが2着。7馬身差の3着にカラフルデイズ。
優勝したミラクルレジェンドは8月のオープン,9月のレディスプレリュードと連勝できていて3連勝。重賞は4勝目。前走の回顧でもいったように,2着馬に勝るとも劣らない力の持ち主で,ここは同じ斤量で破ったというのがひとつの収穫。ただマークする強みはありました。今後も一緒に走るケースがあるかと思いますが,確実に先着するとはまだいえず,負けることもあるのだろうと思います。この後は牡馬相手の路線を選択するようですが,それなりに走れるのではないでしょうか。父はフジキセキ。
騎乗したのは岩田康誠[やすなり]騎手で管理しているのは藤原英昭調教師。記念すべき第1回にその名を刻むことになりました。
僕の部屋に新しいエアコンが設置された翌日,7月31日の日曜日ですが,この日が昨年の8月に死んだ父の一周忌の法要でした。通夜と葬式は斎場で行いましたが,こうした法要に関しては,自宅で行うか,さもなければ寺の本堂で行うかのどちらか。百日法要のときは母の入院中ということもあり,あまり多くの人は呼べないような状況であったために自宅で済ませたわけですが,この日は寺の方で行うことになっていました。日取りに関してはある程度の融通がききますが,時間となると寺の住職の都合が優先され,この日は午後2時からでした。ロサンゼルスの伯母のこのときの来日は,この日程に合わせてのものです。
親戚の間で懸案となっていたのは父の最も下の姉であるK伯母のことです。伯母のことは父の長兄であるY伯父にほとんど任せていましたので,少なくとも僕は,この日まで詳しい状況というのを知りませんでした。そこでこの日にそれを聞いてみたのですが,K伯母の具合が悪くなったのは,泌尿器に問題があったからとのことでした。実はK伯母は排尿の回数が少ない人で,以前にも膀胱炎にかかったことがありました。それで薬を飲んでいたようなのですが,本人は完治したつもりになっていて,ある時期からは放置していたとのこと。それが再発してしまったのが,結果的には入院の理由となったのです。ただ,検査を重ねてそうした原因が突き止められましたので,治療の成果が上がり,この直前には一時的には家に戻っていたそうです。これは退院したものなのか,あるいは一時的な帰宅であったのか,はっきりしたことは分かりませんでした。ただ,長く寝込んでしまっていたために,筋力の劣化がひどく,この7月31日の時点ではまた入院していまして,残念ながら一周忌法要に出席することはできませんでした。
入院は再び本郷台の横浜栄共済病院にしたとのことですが,病気自体は改善していました。つまりこのときのK伯母に必要であったのは筋力を取り戻すためのリハビリでした。このために,翌週にはリハビリ専門の病院の方に転院する予定になっていまして,これは伯母の住む市営住宅のほど近く。具体的な日時は不明ですが,実際に伯母はそちらに転院したのです。
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