スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

国際自転車トラック競技支援競輪&僕の見解

2020-06-14 19:09:34 | 競輪
 青森競輪場で行われた第11回国際自転車トラック競技支援競輪の決勝。並びは長島‐隅田の栃木,伊早坂-山下の茨城,鈴木-朝倉の関東,蒔田‐山賀‐渡辺の南関東。
 渡辺と朝倉がスタートを取りにいき,内の渡辺が確保して蒔田の前受け。4番手に鈴木,6番手に長島,8番手に伊早坂で周回。残り3周のバックを出たところから伊早坂が上がっていこうとしましたが,これを長島が牽制。その間にホームで鈴木が動き,蒔田を叩いたところで誘導が退避。伊早坂はホームの入口からまた発進していき,鈴木を叩きました。3番手に鈴木,5番手に蒔田,8番手に長島という一列棒状になると,伊早坂はそのままペースを緩めず,打鐘前からの先行になりました。ホームから蒔田が動いていきましたが,コーナーで鈴木がブロック。鈴木はそのまま発進し,バックで伊早坂を捲り切りました。後方の長島も捲り上げてきましたが,朝倉が牽制。直線では粘る鈴木を,長島マークの隅田が大外から差し切って優勝。鈴木が8分の1車輪差で2着。立て直した長島が1車輪差の3着。
 優勝した栃木の隅田洋介選手はこれがグレードレース初の決勝進出での優勝。この開催はメンバー構成的にはGⅢレベルとはいえず,その中では長島と鈴木が脚力で上位。鈴木は道中でうまく動いていい位置を取ったのに対し,長島は後方に置かれてしまったため,そこがふたりの着順を分ける形に。隅田はFⅠでも大きな着順が多い選手なので,この優勝は個人的には驚きだったのですが,このレースぶりからみると,自力で戦うよりマークに徹した方がいいのではないでしょうか。

 一端が固定しもう一端が運動するということが,直線の本性essentiaや特質proprietasではないにもかかわらず,現実的に存在するある人間が,この定義Definitioによって円を認識し得るのは,その人間がそのような運動motusの観念ideaを思惟作用として認識しているからであって,たとえば直線の観念を有しているからではありません。よってこの思惟作用の原因causaは,その人間の精神mens humanaないしは知性intellectusがすべてなのであって,それ以外の別の原因を有しているわけではないのです。いい換えればこの人間の精神あるいは知性は,この人間の精神ないしは知性のうちに生じる円の観念の,この場合は十全な原因causa adaequataなのであって,部分的原因causa partialisではありません。よってこの様式でこの人間が円を認識するcognoscereとき,この人間は円を能動的に認識しているということになるのであって,この円の観念は十全な観念idea adaequataであるということになります。
                                   
 僕はこの解釈を採用するので,円の定義によって知性が概念するconcipere円の観念は,円の十全な観念であるといいます。そして十全な観念である限り,それは真の観念idea veraでもあるのでなければなりません。したがって第一部公理六により,それは観念の対象ideatum,この場合でいうなら延長の属性Extensionis attributumの中に包容されている限りでの円と一致するでしょう。ただし僕はこれを,円を認識する知性の能動actioであるから真の観念であるといっているのであって,観念されている円と一致しているから真の観念であるといっているのではありません。真verumであるか偽falsitasであるかは,それを認識する知性の能動であるか受動passioであるかによってもっぱら決定されるというのが僕の見解opinioなのであって,能動であるなら観念対象と一致するということも同時に帰結すると考えているのです。これは正確性を欠くいい方ではありますが,もっと分かりやすくいうとすれば,もし僕たちが何事かを能動的に認識するならば,結果として認識された観念は観念されたものと一致することになるのであって,逆に僕たちが何であれ何かを受動的に認識した場合には,結果としてその観念は観念されたものとは一致しないことになるというように,僕は考えているのです。これは分かりやすくいったまでで,そこに因果関係を認めているわけではありません。
コメント
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