スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯棋聖戦&真の観念でない場合

2020-06-08 19:03:22 | 将棋
 4日に指された第91期棋聖戦挑戦者決定戦。永瀬拓矢二冠と藤井聡太七段は公式戦では初対局。
 振駒で永瀬二冠の先手となり相掛かり。どうも先手の研究通りの進展だったようですが,後手の藤井七段もうまく対応したようで,差がつかないまま戦いが続きました。
                                        
 第1図は後手が歩を打った局面。8三の歩を突いたというなら,玉の逃げ道を広げるという意味で分からなくもないですが,ここに歩を打つというのは発想として新鮮に感じました。たとえば先手が桂馬を持っていて,相手の打ちたいところに打てというのでも理解はできますが,そういうわけでもないからです。
 ただし後手はこの後の先手からの攻めは軽視していたようです。それが☗6五桂と跳ねる手。5三の地点は受からないので☖同金☗5三角成☖7二玉は仕方ありません。先手も歩しかありませんから2枚の馬をうまく使っていかなければならず,☗4三馬引と指して金取り。これも☖6四金と引くのは仕方ないところ。そこで☗4四馬引として2枚の馬を使いにいきました。後手は☖8三玉の早逃げ。
                                        
 第2図で☗2六馬と桂馬を補充したのがミス。☖8九飛☗7八玉☖9九飛成と進んで一気に後手の勝勢になりました。第2図は先手も☗7八玉と先に上がっておかなければいけなかったようです。
 藤井七段が勝って挑戦者に。デビューから3年半でタイトル戦初出場を決めました。第一局は今日です。

 第一部公理六で,真の観念idea veraが観念されたものideatumと一致するといわれているとき,一致というのを第二部定理七に照合させて解釈するなら,真の観念の原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoは,観念の対象ideatumの原因と結果の連結と秩序に一致していなければならないことになります。したがってもし,延長の属性Extensionis attributumに包容されている限りで存在する円が,一端が固定し一端が運動する直線によって発生するのでなければ,他面からいえば,この直線の運動motusが原因となって円が結果として生じるのでなければ,円の定義Definitioによって知性intellectusが認識するcognoscere円の観念は,円の真の観念であるといえないことになります。よってこの場合はスピノザが,定義されるものが知性によって認識されることに資すればそれはよい定義であるというとき,知性が認識するのは定義されるものの真の観念でなくて構わないといっているということになります。
 ただしここで注意したいのは,真の観念でないということと,誤った観念idea falsaであるということが,この場合には等置できないであろうということです。この場合には定義されるものが理性の有entia rationisとして知性に認識されればよいのであって,それは知性を離れた形相的有esse formaleとして存在しなくても構わないとスピノザはいっていると解しておく方が適切でしょう。理性の有というのはその理性の有の対象が外部に,いい換えれば思惟の属性Cogitationis attributumの外部には存在しないがゆえに,実在的有ではありません。つまりスピノザは,ある種の事物は実在的有として認識されるのでなくても構わない,要するに実在的有として認識されなくても学知scientiaの対象とはなり得るといっていることになります。事物の定義というのは,少なくとも公理論の中においては,学知の対象となるべきものとして定義されるのが普通で,そうでなければそれが非実在的であることをいうために定義されることになるのですから,定義されるものが実在的有として認識されるのでなくても構わないというなら,そうしたものが学知の対象となるということも同時に是認しなければならないと僕は考えます。
 しかし,これとは違って,円の定義によって概念される観念は,円の真の観念であるという見方もできると僕は思います。
コメント
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