スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯棋聖戦&判定規準

2020-06-12 19:01:04 | 将棋
 8日に指された第91期棋聖戦五番勝負第一局。対戦成績は渡辺明棋聖が0勝,藤井聡太七段が1勝。
 振駒で藤井七段の先手となり,相矢倉の脇システム。後手の渡辺棋聖が,自身が先手で指した将棋の後手番に,一工夫を入れる将棋に。何らかの研究があったものと推測します。
                                        
 先手が3八の飛車を寄った局面。ここは端を受けなければなりません。直接的には☖1一香か☖1二香で,先手はその変化を読んでいたようです。しかし☖5七歩と打ちました。これは先手の読みになかったそうです。
 ☗同角と取って☖4六金の飛車角両取り。☗1三飛成☖同王☗4六角と進みました。さすがに☖4六金を見落とすとは考えられないので,☖5七歩と打たれたときにこう進めるほかないと判断したのだと思います。この順で飛車を取られて苦しくなったと思っていたようですが,実際はこれで先手がよいようです。妙ないい方ですが寄せ合いに進めるほかなくなった分,将棋の決着が早くなったという見方もできそうです。
 ☖2二王に☗1四桂と迫り,☖2一王に☗1二歩と打ちました。
 ここで後手は☖8六香と打って☗8七香☖同香成☗同金として☖1八飛。先手が☗6八金と受けたところで☖3一王と逃げました。
                                        
 ここから☗7五香と打ち☖同銀としてから☗1三角成としたのはうまい手順だったと思います。後手は☖4二王と逃げるのが普通でしょうが,それでは手数が伸びるだけだと判断し,☖2二銀という受けの勝負手を繰り出しました。これには☗同桂成☖同金。
 後手は☗3三金と打たれて負けと思っていたようですが,☗3三銀だったのでもう一勝負になりました。☖1三飛成☗4二金☖2一王☗2二銀不成☖同王☗3二金打☖1二王まで進めて☗7五銀と銀を補充。
 ここで☖6五香は小ミスで,☖6七歩が優ったようですが,これは同じ手順で進むならという前提です。実際は先手が受けに回り,詰めろを続けるのは難しいのではないでしょうか。先手は☗1四歩と叩き☖同龍に☗2二銀と詰めろを掛けました。
                                        
 必至ではないので☖1三歩で受かるのですが,これは一時的なもので先手が攻めきれるそうです。後手は第3図から先手玉を詰ましにいきましたが,3七の桂馬や第3図の直前に打った金銀も働く形で詰みを逃れました。これは将棋を作品としてみた場合には傑作に値する一局だったと思います。
 藤井七段が先勝。第二局は28日です、

 観念ideaの形相的有esse formaleの原因causaが,思惟の属性Cogitationis attributumであって観念の対象ideatumではないとするなら,何であれ観念について判定するときには,思惟の属性に依拠して判定するべきであり,観念されたものideatumによって判定するべきではないということになります。第一部公理四によって,結果effectusの認識cognitioは原因の認識に依存しなければならないからです。よって,ある観念について,それが真verumであるか偽falsitasであるかを判定する際にも,それは思惟の属性に基づいて判定されなければならず,観念の対象によって判定されてはならないと僕は考えます。第一部公理六は,真の観念idea veraが観念されたものと一致するということをいっていますが,だからといって観念が真であることを判定するために,観念の対象と一致しているかいないかをその判定の規準としてはならないのです。
 では,思惟の属性を規準とした真理veritasの判定というのはいかなるものでしょうか。これは『エチカ』ではふたつの仕方で示されています。ひとつは第二部定理四〇です。すなわち原因となっている観念が十全な観念idea adaequataであれば,結果として生じる観念もまた十全な観念なのです。スピノザの哲学では,観念がその本来的特徴denominatio intrinsecaからみられる場合には十全な観念ないしは混乱した観念idea inadaequataといわれ,その外来的特徴denominatio extrinsecaからみられるなら,真の観念ないしは誤った観念idea falsaといわれます。よって,原因となっている観念が十全な観念であれば,結果として生じる観念も十全な観念であるというのは,原因が真の観念であるなら結果も真の観念であるというのと同じ意味です。
 ただしこの判定の規準は,ひとつだけ問題点を抱えています。結果として生じる観念が十全な観念であるということを判定するために,原因である観念が十全な観念であるか混乱した観念であるかを判定しなければならないのなら,その原因となっている観念が十全な観念であるか混乱した観念であるかということをいかにして判定すればよいのかということが問題として残ってしまうからです。そこでこれを回避するために,もうひとつの別の規準を示しましょう。それが第三部定理三です。この定理Propositioから,僕たちの精神mensが十全な観念を認識するcognoscereために必要な条件を理解することができます。
コメント
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