スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

師弟 棋士たち魂の伝承&比喩の対象

2020-06-27 19:10:02 | 将棋トピック
 久しぶりに将棋の本を紹介します。これが8冊目です。一昨年の6月30日に光文社から発刊された野澤亘伸の「師弟 棋士たち魂の伝承」です。
                                        
 著者の野澤はカメラマンです。高校時代は将棋部で部長を務め,団体戦では県大会で準優勝したそうなので,それなりの棋力はあるとみていいでしょう。おそらく海パンカメラマンという異称で,アイドルの写真集を多く出されている方として有名なのではないかと思いますので,その方が将棋の本を出したということ自体が僕には驚きではありました。
 プロ棋士になるためには師匠が必要です。この本は6組の師弟について,師匠と弟子にそれぞれインタビューを重ね,その関係を明らかにしていくというものです。その6組というのは順に,谷川浩司と都成竜馬,森下卓と増田康宏,深浦康市と佐々木大地,森信雄と糸谷哲郎,石田和雄と佐々木勇気,そして杉本昌隆と藤井聡太です。さらに巻末に,羽生善治に対するインタビューがあります。
 それぞれの師弟関係のエピソードも豊富で,まずそれだけで面白く読むことができると思います。また,個々のエピソードとしても,たとえば増田は将棋を研究するときに,集中するために立って行うという,個人的には驚くようなことも含まれていました。僕が感じたのは,師匠というのは僕が想像していたよりもずっと弟子のことを考えていますし,また弟子の方も,従うのであれ反撥するのであれ,師匠からの影響というのは否めないものがあるのだということです。
 この本が素晴らしいのは,野澤が綿密な取材をすることによって,様ざまなことを明らかにしているということだけではありません。野澤の将棋に対する愛や,棋士に対する畏敬の念といったものが,文章の端々に満ち溢れていることの方が,僕には強く印象に残りました。本業はカメラマンですが,ライターとしてもかなり優秀だと思います。

 スピノザの相の下に,といういい回しは,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzsche自身による記述です。いうまでもなくそのときニーチェは,第二部定理四四系二の,永遠の相の下に quadam aeternitatis specieというスピノザの記述を意識していました。
 ここまでの文脈から理解できることがあります。ニーチェによれば,神自身が蜘蛛となって自らの巣を張るようになったのは,スピノザの相の下においてです。つまり,神が蜘蛛となったのは,形而上学の歴史の中で,スピノザが最初であるとニーチェはみていることになります。そしてスピノザ以前の形而上学者は,神の周囲に蜘蛛の網を張っていたのだということになるでしょう。いい換えれば,この部分において神の周囲に蜘蛛の網を張っていたとされているのは,スピノザ以前の形而上学者であったということになります。
 次に,神の周囲に蜘蛛の網を張っていたことと,神自身が蜘蛛になって自らの巣を張るようになったことを,連続的な出来事とニーチェはみなしています。したがってニーチェはスピノザのことを,神が蜘蛛となって自らの巣を張るようになったという点で新奇性を認めているといわねばならないでしょうが,その新奇性はそれ以前の形而上学からの連続性から理解されなければならないと考えていることも間違いないところです。したがってスピノザは,それ以前の形而上学者の系譜から連なるひとりの形而上学者として,ニーチェによって把握されていると解するべきです。
 これは一七節の終りの方で,この節の最後は,神が物自体になったというように締め括られています。物自体というのはカントImmanuel Kantによる哲学用語です。つまりニーチェは,カントはスピノザから連なる形而上学者のひとりであると考えていたことになるでしょう。また,これによってこの節が終了しているということは,カントの形而上学が,形而上学の到達地点であるとニーチェはみなしていたからなのかもしれません。ただしこれについては僕は断定は避けます。
 これでみれば分かるように,『アンチクリストDer Antichrist』には確かに蜘蛛の比喩が出てくるのですが,スピノザ自身が蜘蛛に喩えられているとはいえない面があります。むしろその比喩の対象は,神だと解せそうです。
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