三沢と鶴田の試合までの過程で,馬場が三沢の勝利を決断するのには,ブレーンからのアドバイスが大きく影響したという主旨のことが『1964年のジャイアント馬場』には書かれています。ここでブレーンとされているのはふたりいて,ひとりは当時の週刊プロレスの編集長であったターザン山本,もうひとりが同じく週刊プロレスで全日本プロレス担当の記者であった市瀬英俊です。
ふたりがメディアの立場であったにも関わらずブレーンでもあったということは間違いない事実と断定できます。当時はそう公言こそしていませんでしたが,全日本プロレスは東京での興行の終了後,馬場は必ず特定のホテルで夕食を摂り,その場に山本と市瀬が出掛けて,プロレス談義をするということは本人たちも明かしていたからです。山本は,馬場はたくさん食べる人を好んだので自分も目一杯に食べたけれども,どんなに食べても心配する必要はなかったとし,その理由は料金はすべて馬場が支払ったからだということも明かしていました。少なくとも両者が馬場から利益供用を受けていたことは間違いありません。また,後には同席していた馬場夫人が,とくに市瀬はファンの目線を有していたから,助言は大いに役立ったと証言していますから,ブレーンであったことも確実といっていいでしょう。
こうした理由から,僕は山本や市瀬がこの当時の全日本プロレスに関して何かを証言しても,全面的には信用しません。実際に利益を提供されていたこともそうですし,天龍源一郎の離脱後に全日本プロレスが最良の時代を迎えたことについて,両者とも自分の貢献もあったという自負心を抱いているであろうからです。
ただ,馬場の決断にこのふたりの助言が影響したのは間違いないと思います。山本は,この試合は三沢が勝たなければならないと馬場に言ったと証言していて,確かに山本なり市瀬なりがそれがよい選択であるという提言を馬場に対してなし,それを受けた馬場が熟考して決定したのだろうと推測します。三沢を勝たせるという決断は,馬場の思考からは出てくるようなものとは僕には思えないからです。
『スピノザの生涯』に関係する考察の中で,浅野俊哉の『スピノザ 共同性のポリティクス』を紹介しました。この論文集の簡潔な紹介からもお分かりいただけるでしょうが,この中には僕の力では論じられないものが多く含まれています。しかし哲学と関係する論考内容の中には,僕が過去に扱ってきたものと大きく関係するものが含まれています。せっかくの機会ですので,ふたつほどここでまとめて考察しておきたいと思います。
第5章の中に,第二部定理七がどういう事態を意味しているのかということについての浅野の考え方が示されています。それによれば,あらゆる出来事というものは,それを出来事として把握する主体の意向とは無関係に,自ずから人間の精神mens humanaのうちに生起してくるものなのであって,そのようにして把握される出来事についての観念ideaの総体のことがその人間の精神であるといわれています。哲学の世界では伝統的に,理性ratioを行使するというときに,意志voluntasの役割が切断できないものとして規定されているのですが,スピノザの哲学では,人間の精神が理性を行使することによって出来事を認識するという場合においても,それは精神が主体的に行う作業ではないと主張されることによって,その伝統が破棄されているのです。すなわち,理性と意志は,もし関係をもつとしても,ある人間がその意志によって理性を行使するという意味においては,無関係であると規定されているのです。
このことは,真理veritasとはどういう意味において真理であるといえるのかということと関係してきます。そして同時に,第二部定理四九系でいわれている,意志と知性intellectus,すなわち個々の意志作用volitioと個々の観念の同一性にも関係してくるでしょう。デカルトはある観念が真理であるという条件を,その観念が明晰判明であるということに求めていました。スピノザの哲学ではこの明晰判明というのが,明瞭判然に妥当すると考えるのがよいと思います。しかしデカルトのような考え方は,スピノザにとっては十分ではありませんでした。なぜならこの考え方は,ある観念が何を起成原因causa efficiensとして,どのような過程で発生するのかということを示すことができないからです。
ふたりがメディアの立場であったにも関わらずブレーンでもあったということは間違いない事実と断定できます。当時はそう公言こそしていませんでしたが,全日本プロレスは東京での興行の終了後,馬場は必ず特定のホテルで夕食を摂り,その場に山本と市瀬が出掛けて,プロレス談義をするということは本人たちも明かしていたからです。山本は,馬場はたくさん食べる人を好んだので自分も目一杯に食べたけれども,どんなに食べても心配する必要はなかったとし,その理由は料金はすべて馬場が支払ったからだということも明かしていました。少なくとも両者が馬場から利益供用を受けていたことは間違いありません。また,後には同席していた馬場夫人が,とくに市瀬はファンの目線を有していたから,助言は大いに役立ったと証言していますから,ブレーンであったことも確実といっていいでしょう。
こうした理由から,僕は山本や市瀬がこの当時の全日本プロレスに関して何かを証言しても,全面的には信用しません。実際に利益を提供されていたこともそうですし,天龍源一郎の離脱後に全日本プロレスが最良の時代を迎えたことについて,両者とも自分の貢献もあったという自負心を抱いているであろうからです。
ただ,馬場の決断にこのふたりの助言が影響したのは間違いないと思います。山本は,この試合は三沢が勝たなければならないと馬場に言ったと証言していて,確かに山本なり市瀬なりがそれがよい選択であるという提言を馬場に対してなし,それを受けた馬場が熟考して決定したのだろうと推測します。三沢を勝たせるという決断は,馬場の思考からは出てくるようなものとは僕には思えないからです。
『スピノザの生涯』に関係する考察の中で,浅野俊哉の『スピノザ 共同性のポリティクス』を紹介しました。この論文集の簡潔な紹介からもお分かりいただけるでしょうが,この中には僕の力では論じられないものが多く含まれています。しかし哲学と関係する論考内容の中には,僕が過去に扱ってきたものと大きく関係するものが含まれています。せっかくの機会ですので,ふたつほどここでまとめて考察しておきたいと思います。
第5章の中に,第二部定理七がどういう事態を意味しているのかということについての浅野の考え方が示されています。それによれば,あらゆる出来事というものは,それを出来事として把握する主体の意向とは無関係に,自ずから人間の精神mens humanaのうちに生起してくるものなのであって,そのようにして把握される出来事についての観念ideaの総体のことがその人間の精神であるといわれています。哲学の世界では伝統的に,理性ratioを行使するというときに,意志voluntasの役割が切断できないものとして規定されているのですが,スピノザの哲学では,人間の精神が理性を行使することによって出来事を認識するという場合においても,それは精神が主体的に行う作業ではないと主張されることによって,その伝統が破棄されているのです。すなわち,理性と意志は,もし関係をもつとしても,ある人間がその意志によって理性を行使するという意味においては,無関係であると規定されているのです。
このことは,真理veritasとはどういう意味において真理であるといえるのかということと関係してきます。そして同時に,第二部定理四九系でいわれている,意志と知性intellectus,すなわち個々の意志作用volitioと個々の観念の同一性にも関係してくるでしょう。デカルトはある観念が真理であるという条件を,その観念が明晰判明であるということに求めていました。スピノザの哲学ではこの明晰判明というのが,明瞭判然に妥当すると考えるのがよいと思います。しかしデカルトのような考え方は,スピノザにとっては十分ではありませんでした。なぜならこの考え方は,ある観念が何を起成原因causa efficiensとして,どのような過程で発生するのかということを示すことができないからです。