スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

僕の解釈&コルデス評

2017-03-10 19:18:30 | NOAH
 その試合までの過程から,三沢がジャンボ・鶴田に勝つのが望ましかった,馬場にとっても望ましかったという点では,僕は柳澤の解釈に異議を唱えません。そして,単に三沢が勝てばいいというものではなく,その後に三沢と鶴田の抗争が継続するように,そしてそれまでの鶴田の経歴が尊重されるように,あまり鶴田に傷がつかないような方法で三沢が勝つのがベストな選択であったと僕は考えます。『1964年のジャイアント馬場』でもその点は踏まえられていると僕は解します。
                                     
 僕はこの試合を現地である日本武道館で観戦していましたし,その後のテレビ放送も見ました。そしてこの試合は,鶴田がかなり優勢に試合を進めていたのだけれども,最後にフィニッシュホールドであるバックドロップを放ったとき,三沢が空中で身体を反転させることによって鶴田を押さえ込むような体勢にもっていき,そのままスリーカウントが入って三沢が勝ったというように解しています。つまり試合内容は鶴田の勝ちだったのだけれども,最後の最後で三沢に逆転を許したというように解しているのです。つまり鶴田には何らの傷もつかないままに三沢が勝ったのであり,ベストといえる選択がなされたのだと解しています。
 僕の感覚でいうと,このときのカウントは少し早かったようにも思えます。もしかしたら試合を捌いていた和田京平が,この場面で三沢にスリーカウントを入れれば最良の結果が得られると判断して機転を利かせたのかもしれないとすら思っています。当然ながら和田もまた,馬場の意向を汲んだ上でレフェリングしていたに違いないからです。
 前にもいったかもしれませんが,プロレスの試合の解釈というのは人それぞれに任されます。ですからこれは僕の解釈なのであって,この解釈が正しいというつもりはありませんし,それを他者に強要する気もありません。柳澤はこれとは別の解釈をしていますが,それは柳澤の勝手であり,それには僕は文句はつけません。

 スピノザがコルデスを尊敬し,賞賛していたという点についても,スぺイクによるフィルターが入っている可能性があるでしょう。ただしこのこと自体は事実であっても不自然ではないです。というのもこの文脈では,スピノザがコルデスを尊敬しまた賞賛した理由が,コルデスは博識で誠実な人間であったとなっているからです。
 文章を読解する際に注意しなければならないのは,ここではコレルスJohannes Colerusが,自分の前任者であるコルデスは博学で誠実であったといっているのですが,コルデスとコレルスが会ったことがあるかどうかは分からないという点です。もしルター派の説教師が,派遣された土地だけで説教をしているなら,コレルスはコルデスが死んだ後,後任としてハーグにやってきたのですから,ふたりが会ったという事実はなかったとする方が妥当でしょう。しかしたとえば説教師による全体会合といったものがあったら,ふたりは同時期にオランダで説教師をしていたのですから,会ったことがある可能性の方が高くなります。したがって,コレルスによるコルデスの評価は,自身による評価である可能性もありますし,スぺイクの証言に基づいた評価であった可能性も残ります。他面からいえば,コルデスのことを博学で誠実であると認識していたのは,コレルスであった可能性もありますが,実際にはスぺイクであった可能性も残るということです。ただし,コレルスだけがコルデスをそのように認識し,スぺイクがそうは認識していなかった可能性は低いと思われます。というのはその後に記述されている,スピノザがコルデスの説教を聞きにいくことがあったということはスぺイクだけが知っていて,コレルスは知らなかった筈ですが,その理由もまた,コルデスの博識が根拠とされているからです。
 このとき,スピノザが説教を聞きにいったという点については,聖書の解釈に対する博識に限定されているのですが,スピノザがコルデスを尊敬しまた賞賛したという文脈においては,単に博学といわれていて,それが具体的にどのような点に関するものかが触れられていません。また,誠実であるということについても,具体例が記述されていないのです。
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