スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

仮面貴族&医学

2015-07-18 19:23:51 | NOAH
 人間風車と同じように,一般的には一流レスラーとされているものの,馬場があまり高く評価していないレスラーに,仮面貴族ないしは千の顔をもつ男と称されるミル・マスカラスがいます。
                         
 『馬場伝説』でのインタビューで馬場が語っているところによれば,馬場がマスカラスを評価していないのはそんなに強い選手ではなかったからです。馬場は超獣と比較して随分と劣る実力だったと言っています。マスカラスはそう大きな選手ではありませんでしたから,馬場の評価には適わなかった部分も大きいのでしょう。日本プロレス時代には,マスカラスが国際プロレスのスカウトを受けて移籍するかもしれないという話があったので,それなら大切にすることはないと考え,やっつけてしまったことがあったというエピソードも加えています。マスカラスが一流の地位でいられたのは,過保護にされていたからだというのが馬場の全般的なマスカラス評だといえるでしょう。
 全日本プロレスを旗揚げしてからも馬場はマスカラスを呼びました。これについては実力はなかったけれども見かけはよかったからだと馬場は語っています。でも,僕の考えでは,馬場はこの点に関しては,本音のすべてを語っていないと思います。
 マスカラスは確かに実力的には一流クラスと差があったかもしれません。しかし集客力は間違いなくありました。少なくともブロディとマスカラスを比べて,どちらが客を呼べるレスラーであったかといえば,僕はマスカラスの方だったと思います。ですからレスラーとしての馬場はマスカラスを評価してなくても,プロモーターとしての馬場はマスカラスを評価せざるを得なかったのではないかと思います。だから馬場はマスカラスを呼び続けたのだと僕は考えます。
 マスカラスは日本テレビのプロレス中継にも協力的で,よく視聴者プレゼントをしていました。視聴率も取れる選手だったのではないかと思います。馬場と日本テレビの関係から,あるいはマスカラスを来日させてほしいという日本テレビの要望もあったかもしれないと思います。

 確たる資料は不在ですが,スピノザとレーウェンフックが,会う会わないは別に,歴史的条件と地理的条件がこれだけマッチしていながら,互いが互いのことを知らなかったとは僕には想像できません。また,ふたりが会ったとしても僕は何の不思議も感じませんが,会わなかったとしたら,なぜ会わなかったのかという疑問が湧いてしまいます。それくらいふたりを結び付けそうな条件が揃っているように僕には思えるのです。
 スピノザは,自然科学のうち,医学には特別の関心があったものと想定できます。スピノザの死後の蔵書には,当時の医学者が読むべきであるような書物はほとんどが含まれていたといいます。また,『スピノザ往復書簡集』の書簡八,シモン・ド・フリースからスピノザに宛てられた手紙では,スピノザからフリースに対して,全医学をひとわたり学ぶようにという助言があったと確定できます。またスピノザがオルデンブルクに宛てた書簡三十二では,悪の何たるかを説明する主旨ではありますが,血液を構成する部分に関する言及もみられます。
 レーウェンフックが顕微鏡学者という不思議な名称で呼ばれるのは,何でもかんでも片っ端から顕微鏡を使って覗いてみたからです。ただ,学者として何に最も貢献したのかといえば,それは間違いなく医学です。バクテリアを発見し,人の精液の構造を解明し,赤血球を発見したのはすべてレーウェンフックです。このように考えたならば,スピノザがレーウェンフックがなしたそれらの功績に関して,すべてを知っていたということはないにしても,何も知らなかったということはあり得ないように思うのです。そしてその一部でも知っていたとしたら,会いに行こうと思い立ったらたぶんそうすることができる相手であったのですから,それを実行に移したとしても不思議ではありません。もっともスピノザは自らそういうことをする人物ではなかったというのも僕が考えるスピノザ像で,会いには行かないという選択も,またスピノザらしいと思えます。いずれにしても,単にこの点だけで,スピノザがレーウェンフックという名前を知らなかったとは僕には想定しにくく思えます。
コメント
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